小学生の部入寮者中学生の部入賞者

大崎市では、子どもたちの平和に対する思いや考えを発表する作文コンクールを毎年実施しています。

平成24年度は82作品の応募があり、審査の結果、最優秀賞として小学生の部では古川第二小学校5年船橋暖人さんの「平和について」が、中学生の部では三本木中学校1年佐藤春菜さんの「世界の平和」が選ばれました。入賞作品は下記のとおりです。

平和作文コンクール

小学生の部

最優秀賞

  船橋暖人さん 古川第二小学校5年 平和について

優秀賞

  植木聡史さん 古川第一小学校5年 ぼくの終戦記念日
  柴田幸拓さん  古川第一小学校6年

平和への思い

  高橋孝太朗さん 鹿島台小学校5年 戦争なんてなければ良いのに
  間宮龍晟さん 松山小学校6年 「平和」を考えた夏休み

中学生の部

最優秀賞

  佐藤春菜さん 三本木中学校1年 世界の平和

優秀賞

  加藤華奈さん  三本木中学校1年 手を取り合って
  佐々木詩乃さん 三本木中学校1年 平和な世界
  鈴木淳子さん 古川南中学校3年 平和について学んだこと
  遠山皓介さん 松山中学校1年 平和と命の大切さ

応募数

14校・82作品(小学生の部 10校・19作品、中学生の部 4校・63作品)

平和作文

小学生の部

平和について

古川第二小学校5年 船橋暖人

ぼくのふる里は、広島です。ぼくは毎年、暑い夏を広島ですごします。そこで、今年は平和公園に行き、核戦争と平和について学びました。

1945年8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾が投下され、一瞬のうちに町は焼け野原となり、多くの人の命がうばわれました。助かった人でも、放射能のえいきょうで今も苦しんでいる人がいます。

なぜ広島に原爆が投下されたかというと、そのころの広島は、多くの学校や軍用施設があったことと、連合国軍のほりょ収容所が無いと思われていたからです。

原子爆弾は、1942年にアメリカがマンハッタン計画といわれる原爆の製造計画を始め、3年と20億ドルをかけて作られました。その原爆は、ウランやプルトニウムという物質が核分裂する時に発生するエネルギーを利用する兵器で巨大なはかい力をもっています。さらに、多くの放射線を出し、それは長い間人体に大きな障害をあたえます。広島に落とされた原爆は、長さ3メートル重さ4トンでした。たった一つの原爆で、14万人の人が亡くなったことに、ぼくはとてもおどろき、悲しくなりました。

平和記念資料館に入ると、67年前の被爆した物や様子が残されています。その当時の様子を見てぼくは、こわいと思いました。全身にやけどを負った人の写真や黒いつめがはえてきた人の写真、その当時のかみの毛が展示されていて、一つ一つ見ていると、

(いたかっただろうな。)

(こわかっただろうな。)

といろんな思いがこみあげてきました。

戦争は、人と人とのけんかのように、国と国がけんかすることだと思います。戦争は罪のない人までまきこんで、かんたんに命をうばい悲しみだけを残します。ぼくが、家族や友達を大切なようにみんな大切な人がいます。だから、大切な人を失う戦争はだめだと思います。原爆は、広島と長崎に落とされましたが、もう同じ悲しみをくりかえさないように、ぼくたちは核兵器をなくすように強く世界によびかけないといけないと思います。いまでもアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国などの国は、核兵器を持っています。友達同士のように簡単に話し合えないけれども、国と国が仲良くできて核兵器がゼロになれば安心できるのになと思いました。    

平和公園には、資料館の他にいれいひや消えることのない平和の灯、原爆の子の像、原爆ドームがあります。ぼくが行った日も、いろんな国の人が来ていました。みんながここに来て、ぼくと同じきもちになれば平和な世界が広がっていくと思いました。自分の目で見て平和について学ぶことができました。これからも戦争と平和について学び続けていきたいです。

 


ぼくの終戦記念日

古川第一小学校5年 植木聡史

昨日ぼくは、けんじワールドに行ってきました。ウォータースライダーや波のプールで遊んで、とても楽しい一日でした。

今日、お父さんはぼくに

「昨日は、何の日だったか知ってる。」

と言いました。ぼくは、

「けんじワールドに行った日。」

と答えました。お父さんは笑っていました。

そして、

「戦争が終わった日だよ。」 と教えてくれました。お父さんは、今日の新聞を開き、「進め一億火の玉だ」という記事を説明してくれました。戦争の時は、大人も子どももみんなが外国と戦って、多くの人が亡くなったことを話してくれました。

けれどもぼくは、戦争のおそろしさがよく分かりませんでした。なぜならぼくが生まれるずっとずっと前のことだったからです。

そこで、ぼくは家にあった「火垂るの墓」を見ることにしました。なんとなくこわくて、今まで見ないできたビデオです。「火垂るの墓」は、戦争でお父さんやお母さん、家もなくしてしまったせいたさんとせつ子ちゃんのお話でした。このビデオを見て、ぼくは戦争ってとてもおそろしいことだと思いました。戦争の時には、朝昼晩ときをかまわず爆だんが降ってきます。だから、いつでもドキドキした気持ちでいなくてはなりません。また、食べ物が足りず、せいたさんは夜に野菜をぬすんだり、空しゅうけい報が鳴るとどろぼうをしたりしていました。どろぼうは悪いことだけれど、どろぼうをしないと自分とせつ子ちゃんが生きていけなかったのでしかたがなかったと思いました。一番大切なお父さんとお母さん、せつ子ちゃんをうばっていったのも戦争です。戦争を二度としてはならないことをこのビデオから学びました。  

ぼくは今、平和な日本で生きています。八月十五日がなかったら、戦争のことなど何も知らずにくらしていたにちがいありません。お父さんの話や「火垂るの墓」から、ぼくは戦争のおそろしさや平和の大切さを教えてもらいました。ぼくは、本当の戦争を知りません。しかしこれから、もっともっと戦争のことを勉強しようと思います。そして、たくさんの人達が笑ってくらせる平和な世の中を作っていきたいと思います。そのためにぼくにできることは、戦争のおそろしさや平和の大切さを一人でも多くの人達に伝えていくことだと思っています。今、このしゅん間にも、世界のどこかで戦争がおきています。日本だけでなく、世界中の人達が仲良く生きていってほしいと思います。はだの色やしゅう教、物の考え方がちがっても、よく話し合えばおたがいに分かり合えるはずです。地球上の人間が手をつなぎ笑いあえる、そんな日が一日も早く来るようぼくも努力していきたいと思います。

 


平和への思い

古川第一小学校6年  柴田幸拓

今から4年半前に亡くなった、ぼくのぴいじいちゃんは、19才の時に戦争に行ったそうです。ぴいじいちゃんのそう儀の時に、ぴいじいちゃんが軍服を着ている時の写真も、はじの方に飾られていました。兵隊姿のぴいじいちゃんの写真を見て、当時2年生だったぼくは、何だかとても複雑な気持ちになったのを今でも覚えています。

おばあちゃんやお母さんから聞いた話によると、ぴいじいちゃんがまだ元気だった頃、毎年8月15日の終戦記念日になると、地元の新聞に自ら体験した戦争の体験記を投書していたそうです。

ぴいじいちゃんの体験記によると、戦争を題材にしたテレビ、映画、出版物等を目にする度に、戦争の真実をねじ曲げたり、茶化したりしていると感じたそうです。だからぴいじいちゃんは、遠い異国の地で亡くなった戦友の無念さを晴らし、風化し始めている戦争体験を、ぼく達のような若い世代にも、きちんと真実を語りついでいくのが使命だと思ったそうです。

ぴいじいちゃんが戦った、大東亜戦争という戦争では、日本の陸軍兵が約12万人参戦しましたが、終戦時の生存者は、わずか1万1000人だったそうです。ぼくは、生存者が1割しかいないなんて、戦争は本当に多くの人の命をうばったんだなあと思いました。ぴいじいちゃんは、司令部に配属されていたために、奇跡的に生き残れたそうです。もしこの時、ぴいじいちゃんが戦死していたら、今ぼくは生まれていなかった事になります。そう考えると「命」は、本当に尊いものだと思います。

戦死者の大部分は、敵軍との戦闘によるものではなく、マラリアやテング熱の病気と悲惨なが死によるものだったそうです。当時戦地には医者も薬もほとんどなく、病気になってしまったら、死の宣告を受けたようなものだったそうです。そして何人もの人が死がいとなっていき、死がいには払いのけられないほどの銀ばえが群がっていたそうです。

今は食べ物が余って捨てられています。病気になるといつでも病院に行って治りょうできます。ぼくはいつも苦手な食べ物を残してしまいますが、が死する人の事を考えると、本当に申し訳なく思いました。

ぴいじいちゃんの戦争体験記の中で、ぼくが深く心に残った部分があります。それは、人間同士がお互いに殺し合うという、今にして思えばおろかな行為がくり返されていたのも、当時は日本国民の運命を左右する決戦であるため、覚悟を決めて任務を果たしたという事です。ぴいじいちゃんは死と背中合わせの中でも、すべては祖国のため、人類平和のためにやむを得ないと信じていたのです。ぼくは本当は誰もが戦争になんて行きたくなかっただろうなと思いました。

戦後何十年たったとしても、戦場となった国々では、戦争のつめあとが残っていて、その時代を生きた人々の心の傷は癒えないそうです。戦争の終った今でも、戦争中に埋められた地雷のために、沢山の人々が犠牲になっている国があります。小さな子供達が住んでいる国があります。小さな子供達が住んでいる家の近くや水くみに行く森の中など、いたる所に地雷がひそんでいます。ぼくだったら、こわくてとても外には出られないと思います。でも子供達はそこで生活するしかないのです。

戦争は何のためにするのでしょうか?戦争をしていいことがあるのでしょうか?

人は誰でも平和にくらしたいと思っているはずです。ぼく達が友達を大切にするのと同じように国と国が違っても、民族や宗教が違っても、同じ一人の人間として仲良く出来ないのでしょうか。きっとみんなそう思っていると思います。ぼくは、ずっとずっと世界中が平和であってほしいと思っています。

 


戦争なんてなければ良いのに

鹿島台小学校5年  高橋孝太朗

今年の3月、曽祖母が90才で亡くなりました。祖父の家の仏だんの部屋にある、優しい曽祖母の写真のとなりには、兵隊さんの写真があります。戦争で亡くなった曽祖父です。

曽祖父は、祖父が生まれる前に召集され、昭和21年に、ソ連チタ州ジップヘイゲンの第4収容所で戦病死したと言う記録が通知されただけで、使っていた物や骨など、何ももどってきてないそうです。通知といっしょに骨箱を受け取りに、曽祖母は盛岡まで出かけたらしいのですが、箱に入っていたのは曽祖父の名前が書いてある紙1枚だけだったそうで、家族はみんなくやし泣きしたそうです。

曽祖父と同じようにシベリアですごした人の体験を聞くと、シベリアは1年の半分以上が冬で、食事はパン1きれとスープでとても少なく、氷点下30度でも働かされたそうです。仕事は大木の伐採などで、つかれと空腹と寒さでたくさんの人が亡くなったそうです。亡くなった人は丸太のように積み重ねられ、山の中にほった穴に埋められておそうしきもされなかったそうです。

戦場に行かず日本にのこっていた人達も、がまんの多い生活だったそうです。曽祖母は朝からばんまで、農作業や家族の世話で休む間もなく働きました。食べる物も少なく配給に何時間もならび、毎日生きるために精一ぱいだったそうです。そんな生活が何年も続きました。

どうして戦争をするのでしょうか。戦争を体験した人の話を聞いても、良かったことを言う人はだれもいません。戦争だからと言って人を殺したり、建物をこわしたり、ばくだんを落としたりしても、きずつく人が増えるだけで、何も良いことはないと思います。昨年の東日本大しん災の時、ぼく達は停電や断水で1カ月位とても不便な生活をしましたが、自然災害だから仕方のないことです。でも戦争は、人間が起こして人間を苦しめています。不便な生活や食べ物がない生活が何年も続き、自分も戦争に行くことになるなんて、想像もできないし、絶対にいやです。祖父は曽祖父との思い出が一つもありません。そんな悲しい家族はあってはならないと思います。

けれども世界では戦争をしている地いきがまだたくさんあるそうです。戦争をしないで仲良く問題を解決して、これ以上きずつく人を増やさないようにすることは出来ないのでしょうか。戦争はやめてほしいと思います。

8月15日、祖父は東京の戦没者いれい祭に行きました。今ごろ曽祖父と曽祖母は天国で会って思いで話でもしているかもしれません。

 


「平和」を考えた夏休み

                                                                                           

松山小学校6年  間宮龍晟

4年に1度のオリンピック。夏休み中の開催だったので、今年僕は、テレビで開会式や、いろいろな競技、閉会式まで観ることができました。その中で、「母国は今、内戦が起こっていて、日常生活が危険な状態です。でも、自分がオリンピックに出て、子供たちに希望を与えられれば・・・。」とさみしげに話していた選手がいました。

「内戦」それは、同じ国民同士が戦いをすること。今、日本に住んでいる僕にとっては、その状態が想像できませんでした。しかし、昔日本も戦争をくり返していたことを思いだしました。武士の時代は、領地をかく得するため戦を行い、世界に目を向けてからは、日本という国として、戦争を行いました。日常生活の制限だけでなく、戦争に家族や大切な人を送り出す悲しみや、戦争への憎しみを表に出せないつらさに耐えなければならなかった時が日本にはありました。世界初の原子爆弾の投下、広島や長崎では、六十七年たった今でも、原爆症で苦しんでいる方がいると聞きます。しかし、僕はやはり戦争を経験していないので、本や、テレビなどで見たり聞いたりすることしかできません。

僕が「平和とは何」かを考える時、戦争や争いがないこと、災害がないことが思いうかびます。平成23年3月11日、僕は東日本大震災を経験しました。太平洋側の東日本は、津波で特に大きな被害を受け、多くの人の命が奪われました。僕の家の中は、家具が転倒し、ぐちゃぐちゃでしたが、幸いにも家や、家族、親せきは無事でした。水や電気が長い間止まり、いつも、じゃ口をひねればすぐに出てきた水をもらうために長い列に並んだり、かい中電灯やろうそくで、明かりの代わりにしたり、毛布にくるまって体を温めたり、今まで当たり前にしていた生活ができず、実はとてもありがたいことだったと気がつきました。また、何回も起こる強い余震で、パジャマに着替えることができず、防災グッズとくつを枕元に置いて、普通の服を着たまま寝る日が続きました。戦争中も空しゅうに備えた、気の休まらない生活だったのだろうと思います。

日本は、敗戦という大きな傷を受けて、平和の大切さに気づき、その平和を国全体で求めたからこそ、今の生活があるのではと考えさせられました。不安なく普通の生活ができるのが何よりの平和だと思います。そのために、人間同士で争わないことは、どうしなければならないかをみんなで考え合うことが必要です。「世界中の人が、平和だなぁと思える世の中になってほしい」と思った夏でした。

 

中学生の部

世界の平和

三本木中学校1年 佐藤春菜

7月27日、4年に1度の大きなスポーツの祭典であるオリンピックがロンドンで開催されました。私は世界中の人々が注目しているという開会式を、テレビで見ました。何百億とかけた広々とした緑あふれる会場を、わくわくしながら見ていました。様々な素晴らしい演出を見た後、ギリシャを先頭にした選手入場が行われました。胸を張った堂々とした旗手に続いて、たくさんの選手が入場してきました。日本の選手も堂々とした入場です。中には私の知らない国もたくさんありました。

その知らない国では戦争や他の国との問題をかかえる国が多いです。そんな問題もある中でも、世界の国の人々が同じ大きな道を歩く光景はまさに平和の象徴だ、と私は思いました。

しかし、オリンピックの開催だけで世界が平和になることはありません。世界が一つになったと感じても時間が経つにつれてまた戦争や問題が起きます。私は、オリンピックに出場できる人は国の一部の人たちだけで、その人たちしか平和というものを感じられないのだと思います。出場しない私はテレビや新聞、パソコンがあるので平和を感じることはできますが、これらが無くてオリンピックというものすら分からない人が世界にはいると思います。平和になるという素晴らしいことを知らない人が世界に何人いるのかと考えると悲しくなってしまいます。

私の住む日本は、生活にかかすことのできない電気、水、ガスがあり毎日安心して生活ができます。私は日本は平和な国だと思い、日本に生まれて良かったと感じています。日本のように生活にかかすことのできないものが、あって当然なら今世界は平和になっていたと思います。しかし現実は、電気、水、ガス、さらに食べ物までない国が沢山あります。その国の人々はそれらを求めて争いを行います。これがのちに戦争になってしまいます。私は、分けてあげないのかな?と思いますが、始まった戦争は止めることができないのだと思います。その国の人々は戦争というものが当たり前になってしまっているのかなと思います。きれいな水ではなく川や水たまりの、あまりきれいではない水を飲んで病気にかかる子供がいる、と聞いたことがあります。病気を治す薬がなく、医者がいないために子供たちが亡くなっています。子供たちは病気にかかりたくて川や水たまりの水を飲んでいる訳ではなく、飲まないと生きていけないと思っているのだと思います。私は、充実した毎日を安心して生活することのできる日本に生まれて本当に良かったです。

ただ良かったというのではなく、今でも続く戦争が行われている国で亡くなった子供たちの分も私は1日、1日を毎日精いっぱい生きていこうと思います。それと、精いっぱい生きていく中で私は世界の人々、子供たちに自分は何ができるのか考えて生きていこうと思います。それを実行するには何をやれば役に立つのでしょうか。

私はボランティアが一番いいと思います。ボランティアは外国へ行って支援をするというのを想像しますが、中学生の私はまだ外国に行って支援をするのはとても難しいです。しかし、身近にある自分を求めているボランティアはたくさんあります。例えば、募金です。募金は、スーパーなど募金箱のある所が多いので、たとえ少ない金額でも必ず何かの役に立つと思います。不要になった服を集めている店もあります。私は、募金活動の呼びかけで人が募金箱を持っている光景を見たことがあります。その呼びかけをしている人たちも立派なボランティアです。その人たちが募金をしてくれた人にいう「ありがとうございます。」は本当に嬉しそうでした。私はボランティアをしたことはありません。しかし、自分の周りの友達や家族に「ありがとう」「助かった」などと言われるとすごく嬉しいので機会があれば積極的に参加をして、人の、そして世界の役に立ちたいと思っています。

全世界の国々全てが平和になるのはまだまだ先で、いつになるのかも分かりません。しかし、私たちが世界へ平和を呼びかけたり、ボランティアとして活動したり、自分から進んで役に立つことを考えて実行していくことがこれからも必要となります。オリンピックのことも思い出して、私たちの経験や知恵を活かせば、全世界が平和になるのも近いかもしれません。

 


手を取り合って

三本木中学校1年 加藤華奈

太平洋戦争の終結から、67年がたちました。長期に渡り行われた戦争で、多くの人々が犠牲になり、学生や女性までもが奉仕に駆り出され、食糧の生産も滞り、十分に食事をとることもできない、そのような苦しい戦争に耐えながら、戦争に協力していました。

さらに、街は空襲を受け、原子爆弾を投下され、広島市や長崎市は、一瞬にして廃きょと化しました。はじめに原子爆弾を投下された広島市にある原爆ドームは、被爆体験の事を忘れないために保存されているものだということを知りました。

過去にあった辛く、悲惨な戦争は、体験者たちにより現代にも語り継がれています。私の曾祖父は今年の1月に亡くなりましたが、生前、戦争の悲惨さをよく家族に話していました。「戦争は何の罪もない人を不幸に陥れ、多くの尊い命を奪っていった。」この曾祖父の言葉は、私に戦争の悲惨さを教えてくれていたのだと感じています。

私は、このような大きな戦争があり、現在の平和な世界が築かれていったのだと思いました。もし、太平洋戦争のような大きな戦争がなかったら、今も国同士の争いが絶えず起きていたのかもしれません。

今の私たちは、食事を毎日あたりまえにとり、食事に困ることがありません。食事がとれないということも、普段の生活では考えることがありませんし、自由に、好きなことや好きなものに熱中することができます。また、戦争では敵同士であった国々とも盛んに貿易を行い、お互いに手を取りあい、支えあって生きているといえます。

私にとっての平和な世界とは、「戦争や差別がなく、同じ地球で生きているもの同士がお互いに支えあって生きていく世界」です。一つの国だけではできることも限られているので、さまざまな国が交流し、支えあっていくことが大切だと思います。支えあっていなければ、今のような豊かな生活は送れていないのではないでしょうか。

現在の生活は、外国との交流があって送れています。食事や衣服も、外国との交流が途絶えたら不足してしまうものだと思います。実際に太平洋戦争では、外国との交流が途絶え、とても苦しい生活を強いられていました。争い、傷つけあう戦争は平和とはほど遠いものだと思います。争いが完全になくなるということはないと思いますが、傷つけ、多くの犠牲がでるような争いはもう二度と繰り返さないでほしいです。

今もなお、戦争や紛争の続いている国もあります。それらの国は、資源や領土を奪いあい、戦争や紛争を繰り返していると聞きました。一般市民も巻き込まれて、辛い思いをしています。そういった国からも争いが少しずつでも減っていき、豊かな国になっていくと良いと思います。

争いが減るためにも、国同士が支えあうことが大切なのだと思います。国で不足しているものを補うことができるので、資源をめぐる争いは少なくなるのではないでしょうか。

普段はあまり考えることのない平和ですが、意識をしていないだけで、私たちの身近なところにも平和はあるのだと思います。例えば、水道の蛇口をひねれば、汚染されていないきれいな水をいつでも飲むことができます。しかし戦争の間は、汚れた水を飲んでのどを潤していたのです。水を手に入れるのにも苦労していた人々は、「簡単にきれいな水が飲むことができるなんて夢のようだ。」と感じるに違いありません。

私も小さい頃はまだ、平和がどのようなものなのか、よくわかっていませんでした。しかし、さまざまなことを学び、経験していく中で、平和のすばらしさや大切さに気づくことができ、「平和な世界に生まれて良かった。」と感じました。

さらに、平和な世界を築いていくのは簡単ではないと思います。しかし私は少しずつでも、人と人が支えあう、戦争や差別のない、皆が幸せに暮らせるような、笑顔の絶えることがない世界に近づいていってほしいです。

戦争の辛さをのりこえ、支えあって平和な世界があることをこの先も忘れません。

 


平和な世界

三本木中学校1年 佐々木詩乃

今、世界中にまだたくさん戦争をしている国があります。

私は戦争のテレビを観ることが多いです。みなさんも何度かは観たことがあるでしょう。私はテレビを観ているとき、よく思うことがあります。それは、「たくさん犠牲者をだしてまでどうして戦争をしなくちゃいけないのか。」ということです。

1945年の8月6日と9日に、アメリカ軍は広島と長崎に原子爆弾を落としていきました。一発の爆弾で各県、何万人もの人々が亡くなりました。なにも罪がないのに戦争に巻きこまれて亡くなった人々が、とてもかわいそうに思えてきます。わたしのおぴいちゃんのお兄さんも戦争に行って亡くなりました。きっと戦争に行きたくなかった人も勉強をしたくても工場で働かせられた人もたくさんいることでしょう。原爆によって戦争は終わりました。しかし原爆により被害を受けた人々にとっては、戦争は終わっていないと思います。後遺症などに苦しみ、被爆地に行ったというだけで差別を受けた人々がたくさんいたそうです。

日本は日本国憲法の第9条で「二度と戦争をしない。」ということを定めています。それから日本が戦争をするということがなくなりました。これからも憲法どおり戦争がない平和な日本になってほしいと思います。

アフガニスタンやイスラエルなどの国々では戦争を続けています。アフガニスタンは所々に地雷が埋まっています。地雷はふれただけで爆発し骨まで粉々にしてしまうとても危険な兵器です。さっきまで家族一緒に楽しく生活をしていたのに、次の瞬間にはもう、家族や自分の家まで失ってしまうのです。

第三次世界大戦がおきると地球は壊れるそうです。理由は第三次世界大戦は原子爆弾を使った戦争になるからです。たくさんの敵が原子爆弾を落とし合ったら、大変なことになると思います。日本に落とされたときは何万人もの人が亡くなっていますから、たくさんの国で何千万人もの被害者がでると思います。

日本は世界でただ一つの原爆が落とされた国なので、世界に呼びかければいいと思います。そして戦争がない世界を作らなくてはいけません。殺し合いをしても何の得もならないと私は思います。一部の人だけが幸せになるのは幸福ではありません。なぜなら一人が幸せな思いをしてもう一人がつらい思いをするのは不公平だからです。戦争は人の心を貧しくさせると思います。私は、世界の人々に戦争をして勝てる工夫を考えるのではなく、どうしたらみんなが平和に暮らせるかを考えてほしいです。

戦争はいけないことだということは、世界中のみんなが知っていることです。しかし、戦争を終わらせようとしない人々がいる限り戦争はなくなりません。世界中の人々が協力し仲良くすれば、きっと戦争がなくなります。

私は、戦争のない平和な日本に生まれてきて、本当によかったと思います。私は一度も命の危険を感じたことがありません。毎日365日生きるために働いている子供もいます。そういう子供たちは生きているだけで精いっぱいだと思います。私たちは、毎日学校に行っていますが、私たちにとってあたり前のことが、毎日働いている子供たちにとっては、すごくうらやましいことです。

私たちは、この平和な国で当たり前のことをするのがどれだけ幸福なことか考えたらいいなと思いました。

私には将来の夢があります。それは平和に関われる仕事に就くことです。あまり具体的には決めていませんが、どんな仕事でもいいので、平和に関わり、人々の役に立てる仕事に就きたいです。私がしたことで少しでも人々が幸福になってもらえれば嬉しいです。夢に向かっていくとともに世界が戦争もない平和な世界になることを祈っています。

 


平和について学んだこと

古川南中学校3年 鈴木淳子

私は、「テレビで見るより、全然違うな」とその時感じました。去年の冬休み、沖縄県に旅行したとき、行く予定はなかったのですがお母さんが行きたいと言って、ひめゆりの塔に行ってきました。家族はどういう所なのか知っていたけれど、私は全く知らなくてどんな所なんだろうと思っていました。

そしてついてから最初に目に飛びこんで来たのは大きな穴(防空壕)でした。

そこで私は衝撃を受けました。その深さと大きさにビックリしたのとそこに、戦争の面影のようなものが残っていたからです。

次に、建物の中に入り、展示されているものをゆっくり見て歩きながら感じたことはたくさんありました。やっぱり戦争はもう、ぜったいに繰り返してはいけないし、そのためにも戦争のことを忘れないで後世に残していく必要があると改めて実感しました。

私は、今まで学校の授業で習ったことや教科書に載っている写真、テレビで見た映像などで触れた事はあったけれど直に戦争について触れた事がなかったので今回はとても貴重な体験をすることができました。

それにこの体験を通じて学んだ事はやはり「平和」です。今のこの世の中がどれだけ幸せなことか気付かされました。普通に学校に行けること、いつでも食料が手に入ること。あたり前のように家族と一緒に生活できることなど本当にごく普通の事がそれはとても貴重なものなのだったんだなと実感しました。それは東日本大震災の時も学びました。失ってから初めて気づく事がたくさんあり、私はその気付けたものをずっと心に刻んで行かなければならないなと思いました。さらに、震災の時、戦争中は敵であったアメリカに日本は手助けしてもらい本当に平和になったと思いました。しかし一部だけが平和になっても世界が平和になったとはもちろん言えません。まだ争いが起こっている国や格差のある地域をなくしていく努力をして世界を平和にする事が私達の義務だと思います。  

最近、ニュースで毎日のように見るのが親が幼い子どもを放置して死んでいた、など子供や親を殺したり、恨みがあったから刺したなどの暗いニュースばかりです。いつからこんな世の中になってしまったのでしょうか。一刻も早くこのような事件を少なくしていき、安心して暮らせる日本を取り戻していきたいです。さらに日本は中国と韓国の2つの国と領土問題を抱えています。最近は、どんどんエスカレートしていて不安な日々が続いています。直ちに解決していかなければならない問題だし、本来は、日本にとって中国と韓国は隣の国なのでお互い、助け合っていくべきものです。緊張関係から友好関係になる日を心から願っています。

今も、そしてこれからもいろいろな問題が立ちはだかってきても一つ一つ解決策をていねいに見つけ出し、私達の手で世界の平和をつくっていきましょう。

 


平和と命の大切さ

松山中学校1年 遠山皓介

それは、昭和20年、8月6日の8時30分の出来事だった。そのころ作家の大田洋子は蚊帳の中でぐっすりと眠っていた。海の底でいなずまに似た青い光に包まれた夢を見ていた。すると、大地を震わせるような恐ろしい音が鳴り響いた。雷鳴がとどろき渡るかと思うような、言いようのない音響につれて、洋子さんの家の屋根が激しい勢いで落ちかかってきた。外に逃げると爆風で倒れたれんがの塀が見え、逃げ遅れた人達が土煙の中に消えた。

このような文章で始まる『碑』という本を読もうと思ったきっかけは小学6年生のときに原爆のことを社会の授業で知ったからです。そのときには多くの人の命をうばったことを知りましたが、もっと原爆について深く知りたいと思い始めました。    

この本は、広島二中の1年生322人と4人の先生が原爆によって全滅してしまったという物語です。そしてこの「碑」という本の中では、人のことより、自分のことを考えて逃げなくてはいけない場面が印象に残りました。友人が爆風に巻き込まれても、見ないふりをして、一人で逃げなくては自分の命が危ないのです。そんな経験を僕と同じ広島の中学生が体験したと思うと、とてもつらい気持ちになります。

僕は以前に一度、おじいさんから戦争の話を聞いたことがあります。僕のおじいさんは今年75歳で戦争の時は5歳でした。おじいさんは戦争で友達を亡くしたそうです。

「あの年で、友達は失いたくなかった。」

としみじみ言っていました。そのとき、おじいさんは横浜で空襲にあいました。家族とその友達の家族で逃げたそうです。おじいさんの後ろを走っていた友達は爆弾の爆風に巻き込まれ、姿が見えなくなってしまったそうです。おじいさんは心に傷を負いながらも走って逃げたそうです。また、戦争中の食べ物の話もしてくれました。当時は生活が豊かではなく、さつまいもの葉一枚食べられれば良い方だとも言っていました。服も一枚しかなく何ヶ月も同じ服を着ていたそうです。おじいさんは戦争の話をした後、こう言っていました。「今は服も他の物もいっぱいあって食べ物も豊富だから感謝しなければな。」と。それから僕は料理を食べるときは、できるだけ残さず、「いただきます。」「ごちそうさま。」としっかり感謝の気持ちをもって食事をするようにしています。  

僕はこの本を読んで二つのことについて考えました。一つ目は平和です。いまでも、世界のあちこちで戦争をしています。けれど、戦争や紛争は失うものが多いばかりで得るものは何もありません。戦争で死んでしまった人の家族や友人が悲しむだけです。それに今、日本と中国の間で領土問題が起きていて平和の危機でもあります。世界では、紛争もたくさん起きているので少しでも早くこの世界が平和になるには国同士や村同士で、仲よく相手の立場を考えて生活すれば平和になると思います。今の僕には何もできませんが、身近なことでみんなが仲よく生活できるように行動したいです。そして考えたことの二つ目は、命の大切さです。題名にも使った「命の大切さ」は、自分に一つしかない命を粗末にせず大切にしたいです。そして、友達の絆を深めていきたいです。今、社会では「いじめ」が問題とされています。友達とは仲良いときだけではなく、もう顔も見たくない、と思ってしまうときもありますが、友達との絆は大事です。友達は、自分が落ち込んでいるとき、励ましの言葉をかけてくれ気持ちを明るくしてくれます。友達がそばにいるだけでいつもの自分に戻ります。僕も友達に励まされ元気になったことがあります。小学校の時のテストで、今までとったことのない点数をとって落ち込んでいるとき、「ドンマイ、次のテストでがんばろう。」と友達が言ってくれて、気持ちがとても楽になりました。やっぱり友達っていいなと思いました。

こんな、友達のありがたさを感じられるのも世界が平和だからです。世の中の人が平和についてもっと考え、行動し、世界が争いのない平和な地球になればと思いました。