おくのほそ道(出羽街道中山越)

更新日:2023年08月02日

おくのほそ道(出羽街道中山越)について

松尾芭蕉の紀行文「おくの細道」に描かれている尿前(しとまえ)番所から中山越は、尾花沢(山形県尾花沢市)へ至る行程で最も難儀したところとして知られています。

この古道は平成2年に文化庁より史跡「出羽仙台街道中山越」の名称で国の文化財に指定されました。現在は、松尾芭蕉ゆかりの道であることから俳聖芭蕉の足跡を慕って訪ねる旅人が絶えません。

街道沿いには道しるべになるよう文学碑が整備されています。

おくのほそ道ルート画像

松尾芭蕉はどこを通ったのでしょうか?

元禄2年(1689)江戸(東京)深川を出発し、おくのほそ道の旅に出たのは、旧暦の3月27日、新暦で5月16日です。

芭蕉と曽良は仙台を新暦6月24日出発し、多賀城、塩釜、松島を経て、6月26日に石巻から北上川沿いに北上し、飯野川、柳津、登米へ。6月30日に一関を出発し平泉に到着しています。

紀行文「南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎、みづの小島を過て…」

岩ヶ崎~真坂~上野目~岩出山に到着(泊)

芭蕉は平泉より北には行かず引き返し、一関より奥羽山脈を越えて山形県尾花沢に住む俳人鈴木清風を尋ねるのが目的で、この街道を通ったもので、旧岩出山町ではこの街道を「上街道」として復元整備を図りました。 

岩出山、新暦7月1日出立し、下宮~鍛冶谷沢~ 尿前(しとまえ)~中山平~山形県堺田(泊)

7月1日に岩出山町を出立した芭蕉と曽良は、江合川に沿って歌枕の小黒崎、美豆の小島を眺めた後、 

 尿前(しとまえ)の関所できびしい取締りに会い、ようやく身分が明かされ通行を許可されました。

奥羽山脈最大の難所と言われた小深沢、大深沢を越えて中山平に入り、国境を越えて山形県堺田の封人の家に泊まりました。

この街道は「出羽街道中山越(出羽仙台街道中山越)」(安永風土記書出)と言われ、陸奥(宮城)と出羽(山形)の国境を通るのため、それぞれ御番所(関所)を設けて通行する人を監視しました。鳴子を通過したのは、新暦7月1日(旧5月15日)のことでした。

旧鳴子町では、この街道を「歴史の道」として復元整備を行いました。

芭蕉と曽良が堺田を出立、奥羽山脈を越え尾花沢の清風宅を訪れ後に、酒田、象潟、最上川、出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)山寺などを訪れ、新潟(越後)を南下し、日本海沿いに岐阜大垣に着いたのは新暦10月11日頃(旧8月28日)と言われています。

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