旧有備館および庭園
一般公開のお知らせ
東日本大震災により「御改所(主屋)」が倒壊し、附属屋は壁や屋根に被害が及び、庭園の各所に地割れや陥没の被害がありました。
平成25年11月から始まりました主屋・附属屋等復旧工事が平成27年3月に、正門復旧工事、建物内部の常設展示製作業務は平成28年3月で完了し、平成28年4月26日(火曜日)から建物内部の公開を再開しています。
休館日
- 毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
- 年末年始(12月29日から1月3日まで)
開館時間
午前9時から午後5時まで(最終入館午後4時30分)
入館料
区分 |
一般 |
高校生 |
小・中学生 |
---|---|---|---|
個人 |
350円 |
260円 |
180円 |
団体(20名以上) |
280円 |
210円 |
150円 |
事前の減免申請について
申請方法
- 申請前にお問い合わせください。その後に、下記よりダウンロードしてください。
- 減免申請書に必要事項を記入し、見学の1週間前までに岩出山公民館へ申請してください。
全額減免
- 市内の幼稚園、小学校、中学校おける授業としての幼児、児童生徒の学習活動。児童生徒および引率の指導者
- 市または教育委員会(市または教育委員会の委託を受けたものを含む)が主催する事業のために利用する場合
- その他教育長が特に必要と認めた場合(事前にお問い合わせください)
旧有備館および庭園ウェブサイト
旧有備館および庭園のイベントや情報を幅広く発信するためにウェブサイトを開設しました。多言語(英語・繁体字)の表示やスマートフォンでの閲覧にも対応しております。
日本語版
繁体語版
英語版
旧有備館および庭園の歴史

震災前の有備館
現在の有備館

御改所(お上の間)

附属屋(十帖)
復旧工事内部の状況(平成25年11月から平成27年3月まで)

主屋小屋組み工事
コンクリート布基礎埋設
鉄骨フレーム設置
鉄筋ブレース取付

主屋茅葺工事

附属屋茅葺工事

附属屋茅葺工事
伝廊下木賊葺き
附属屋小舞掻き

主屋荒壁塗り
伊達政宗は、天正19年(1591年)に米沢から岩手沢に居城を移し、岩手沢を岩出山と改めました。慶長6年(1601年)、さらに仙台城に移り、岩出山は政宗の4男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めました。
有備館は、江戸時代に岩出山伊達家の家臣子弟の学問所となった建物で、伊達家当主が時折講義に臨むための場所であった「御改所(主屋)」とその附属屋が、現在までその姿を伝えています。有備館の建物「御改所(主屋)」は、二代宗敏の隠居所として延宝5年(1677年)ころに建てられたとする説が有力です。その後、下屋敷・隠居所・学問所として使用されてきました。
庭園は、正徳5年(1715年)ころ、4代村泰の時代に整備されたと伝えられています。仙台藩茶道頭、石州流三代清水道竿の作庭で岩出山城本丸の断崖を借景として池中に島を配した廻遊式池泉庭園で、中には300年以上の樹木があり四季を通して緑や花などで庭の変化を楽しむことができます。
有備館および庭園は、昭和8年(1933年)、国の史跡名勝の指定を受け、昭和45年に岩出山伊達家より、旧岩出山町へ移管されました。
所在地
宮城県大崎市岩出山字上川原町6番地ほか

伊達政宗は、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の奥州仕置により岩出山にやってきました。
それまで岩手沢城と呼ばれていた城は、秀吉の命により東北に来ていた徳川家康によって修復され、政宗の新しい居城とするよう勧められたといわれています。
米沢から岩手沢城に移った政宗は、岩手沢を岩出山と改め、ここに12年間治府を置きました。
関ヶ原の戦いの後、家康から新たな領地を与えられた政宗は仙台に城を築き、慶長7年(1602年)に居城を移した後は、四男の宗泰(むねやす)を岩出山の領主(1万5千石)としました。
問い合わせ
岩出山公民館
電話番号 0229-72-0357
旧有備館および庭園
電話番号・ファクス番号 0229-72-1344
この記事に関するお問い合わせ先
文化財課
〒989-6188
大崎市古川七日町1-1 市役所本庁舎3階
電話番号:0229-23-2214
ファクス:0229-23-1011
メールフォームによるお問い合わせ
更新日:2023年08月03日