岩出山城址(城山公園)

更新日:2023年12月18日

天正19年、豊臣秀吉の奥州仕置きにより山形県から城を移した伊達政宗は、岩手沢を岩出山と改めここを居城としました。現在は公園として整備され、訪れる人々の憩いの場となっています。

所在地

宮城県大崎市岩出山字城山42番地2ほか

青年政宗居城の地

城山公園の伊達政宗公像の写真

岩出山城は、室町時代には岩手沢城といわれ、大崎氏の監視役であった氏家氏が代々の居城としたところです。

岩手沢城は、大崎葛西一揆のときに廃荒した城を伊達政宗のために徳川家康が諸法山実相寺に40日の間止宿し修復しました。政宗は天正19年に岩手沢を岩出山に、城も岩出山城と改め、慶長8年に治府を仙台に移すまで12年の間、居城としました。

その後第4子宗泰を要害岩出山1万5千石の領主とし、宗泰当時の遺構として、平坦や土塁、空堀などがあります。

「女性剣士 園部秀雄」顕彰碑

城山公園内には、園部秀雄先生の偉業を称え、直心影流薙刀術秀徳会が中心となって建立した顕彰碑があります。(昭和42年8月20日に建立・平成元年に修復工事を実施)

大正、昭和の時代には、東京の女学校や道場などで薙刀の指導を行い、秀雄の教えを受けた者は3,000人とも言われています。大崎市三本木出身の二階堂トクヨが開校した東京の体操塾(現日本女子体育大学)でも薙刀の指導をされていました。秀雄は薙刀の普及、発展にも大きく貢献しました。

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