平和作文コンクール(令和2年度)

更新日:2021年02月26日

小・中学生平和作文コンクール(令和2年度)

大崎市では、子どもたちの平和に対する思いや考えを発表する作文コンクールを毎年実施しています。

令和2年度は129作品の応募があり、審査の結果、最優秀賞として小学生の部では西古川小学校6年 中川絢太さんの「争いのない世界に」が、中学生の部では三本木中学校1年 多川彩葉さんの「平和を守るためには」が選ばれました。入賞作品は下記のとおりです。

小学生の部

市内小学校4校から6作品の応募がありました。

胸に赤い胸章をつけた小学生の部受賞者2名とスーツを着た男性が横一列に並んで椅子に座っている写真

最優秀賞(敬称略)

平和作文コンクール小学生の部最優秀賞

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

争いのない世界に

西古川小学校6年

中川絢太(なかがわけんた)

優秀賞(敬称略)

平和作文コンクール小学生の部優秀賞

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

戦争そして、僕が思う平和

西古川小学校6年

千葉南弥(ちばみなみ)

中学生の部

市内中学校6校から123作品の応募がありました。

胸に赤い胸章をつけた中学生の部受賞者3名とスーツを着た男性が横一列に並んで椅子に座っている写真

最優秀賞(敬称略)

平和作文コンクール中学生の部最優秀賞

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

平和を守るためには

三本木中学校1年

多川彩葉(たがわいろは)

優秀賞(敬称略)

平和作文コンクール中学生の部優秀賞

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

悲惨な過去から

三本木中学校3年

大沼愛(おおぬまあい)

戦争から考える平和

古川東中学校3年

板垣碧(いたがきあおい)

平和作文集

小学生の部【最優秀賞】

争いのない世界に

西古川小学校6年 中川 絢太

  ぼくは、よく弟とけんかをします。スプーンの色やゲームの順番、こんなささいなことで悪口を言ったり、ときには暴力をふるったりします。ぼくは争い事はしたくない。でも弟から悪口を言われると、それにたいしてぼくが反げきしてしまい、争いごとがおきるのです。このように争いがどんどんはげしくなって戦争がおきるのではないでしょうか。子どもの争いはおたがいのけがだけですむけれど、戦争では、関係のない人々がまきこまれます。
  一九四五年八月六日、広島に原爆が落とされ、たくさんの人々が亡くなりました。これは、アメリカと日本が争っておきたのです。人々は生きている喜びをわすれて、人々を、平気で殺めるようになりました。なぜ戦争が起きるのか。なぜ戦争がなくならないのか。ぼくはある程度の土地やお金があれば生きていけます。それで満足です。でもそのあたえられた物で満足できない人が戦争を起こすのです。このように、人は自分のことしか考えす、他人のことは、なんとも思わない生き物なのでしょうか。いいえ、世の中はそんな人ばかりではありません。ぼくの父は、スーパーで働いています。特に品出しをする時にはお客様がとりやすいように心がけて並べているようです。親族の集まりがあるときには、片付けを率先してしたり、みんなを笑わせたりしている姿をよく見かけます。他人を思っているからこそできることです。この世の中には父のように自分のことより他人のことを考えられる人がたくさんいるのです。一部の人間が戦争を起こしているのだとぼくは感じました。
  ぼくは、ご飯を食べるのが好きです。戦争中はご飯がいもだけだったという本を読んでおどろきました。いもだけで生きていけるのか、栄養があるのか、色々と疑問が浮かびました。そう祖母に聞いてみると戦争中はぜいたくは言っていられなかったそうです。そう祖母は今はパーマをかけていますが、昔はパーマだけで殺されたと言っていました。今では普通にしていることが、昔は命を落とす位、大変なことだったのです。昔の食事は一日二回。内容はサツマイモと、煮物だけだったそうです。こんな食事ではおなかがすいてしまい、たえられないなぁと思います。
  世界には戦争のせいで毎回の食事を満足に食べられない人々がたくさんいます。そんな人たちをなくし、世界全体が平和になればよいとぼくは望みます。
  ぼくの中での平和の象徴は、笑顔です。笑顔は、つらいときや悲しいときには絶対にできないものです。楽しい時うれしい時に自然にでてくる笑顔こそ、平和の象徴だと思えるのです。ぼくはこの国だけでなく、世界のみんなが笑顔になれるようにしていきたいと思っています。そのために、争いをなくすための運動に参加したり、募金をしたりして平和な世の中を作っていきたいと思います。みなさんも、世界の平和のために、できることからはじめましょう。一人一人の一歩が世界を平和にすると思うから。

小学校の部【優秀賞】

戦争そして、僕が思う平和

西古川小学校6年 千葉 南弥

  ぼくはよく沖縄に行きます。沖縄は、海がきれいで緑豊かな自然があり、変わった文化などがたくさんあります。始めはそういう美しい島だと思っていたけど、お母さんから沖縄は昔、日本が戦争しているころ他の県とちがって空襲だけではなく地上戦も行われていたと聞きました。ぼくは前に「火垂るの墓」を見て、空襲だけでもあんなに悲惨なのに地上戦となるとどれだけの人が亡くなりどれだけの人の大切な人が亡くなったのだろうと思いました。話を聞いた後、実際に人が殺された防空壕に行きました。中はまっ暗で先が見えませんでした。近づくにつれ怖さが増してきたので中にはお父さんしか入ることができませんでした。
  他にも喜屋武岬という所にも行きました。そこは高いがけのような場所で、下を見るときれいな海が見えます。そこは戦時中多くのひなん民が崖から身を投げたといわれている場所でもあります。たしかにそこから落ちれば間違いなく死んでしまう位の高さでした。沖縄は、今はリゾート地のイメージがあるけれど、昔そういう悲げきがあったことを忘れてはいけないと思いました。
  そして戦争というとよくお母さんにこんな話をされます。ぼくのひいおじいさんは戦時中に、外国で兵士として戦っていました。山中でひいおじいさんは病気にかかり歩けなくなり山におきざりにされて死ぬのを待つだけでした。でも仲間の人が次の目的地のテントがある場所まで背おってつれていってくれたのです。しかしその後そのひいおじいさんをかついで目的地までつれていってくれた人は戦死しました。
  この話を聞いてぼくは、なんて優しい人だろうと思いました。まずぼくには、こんな事できないだろうし、かついで運んだとしてもと中であきらめてしまっていると思います。それに、その人がいなければぼくもいなかったかもしれないので不思議なものだなぁと思いました。もしひいおじいちゃんとその命の恩人の立場が逆だったらその人のひ孫は、ぼくと同じように感じたのかなぁと思いました。だから、こういう、いい人たちがたくさん殺される戦争はあってはならないと思いました。そしてぼくは、なぜこんなにたくさんの人を自分の手で殺めることが出来るのだろうか。空から爆弾を落としたり人を銃殺したりよくそんな事が出来るなと思います。ぼくだったらそんなの見てるのも辛いだろうし泣きたくなると思いました。
  しかしぼくはこの前アメリカ兵にだっこされている赤ちゃんの写真とアメリカ兵にご飯を食べさせてもらっている子供の写真を見ました。その写真を見てきっと多くの兵士たちは人を殺すなんてしたくなかったんだろうなと感じました。
  きっとどの兵士の心の中にも優しい心はあると思うので、さぞかし苦しかったろうなと思いました。その写真は見てて優しさがあふれてくる写真でした。
  最後にぼくが思う平和とは、一概に平和といっても戦争をなくすとか、核爆弾をなくすとか犯罪をなくすとか、色々あると思いますが、ぼくが思う平和とは、一人一人の心の中が幸せであることです。大きな平和よりもなによりみんなの心の中が幸せなことが大切なのです。そういった小さな事が世界平和への第一歩だとぼくは思います。

中学生の部【最優秀賞】

平和を守るためには

三本木中学校1年 多川 彩葉

  私たちは今、好きなものを好きなだけ食べることができます。洗濯機だってあるし、掃除機なんて、勝手に掃除をしてくれる時代です。そうやって、いろいろなものが開発され、日々、世界は未来へと歩み続けています。そんな幸せな毎日を送っていると、七十年以上前、命懸けで戦っていた人たちがいたことが、なんだか信じられません。
  今、日本には戦争を体験した人が少なくなっています。そのため、体験談や戦争がどんなものだったのか耳にすることも少なくなりました。だから私も、戦争がどんなに辛いことだったのか、二度とやりたくないと思うほどだったのか、あまり理解していませんでした。
  でも、小学生のとき、国語の時間に戦争のことを考える授業がありました。学校の図書館で、戦争の恐ろしい写真や、思わず引いてしまうような悲惨な写真を目にし、戦争の恐ろしさを学びました。本や写真からは、戦争が、どれほど恐ろしい体験だったのか伝わってきます。まるで、私たちに、そのことを知ってほしいと訴えかけているようでした。また、原子爆弾が投下された広島や長崎の被爆体験者は、現在、平均年齢が八十才を超え、高齢化が進んでいるそうです。本にあった、「若い世代の私たちに、当時のことを知っている最後の世代として、あの日のことを伝える活動に残りの時間をかけたい。」という言葉が今も忘れられません。私はそのとき、二度と同じ過ちを繰り返さず、平和を守っていくのは、私たちなのではないかと、強く心に思いました。
  「平和」を辞書で引いてみると、戦争やもめ事がなくて穏やかな様子。と書いてありました。私も考えてみました。私が考えた平和とは、心配やもめ事、貧困や飢えがなく、家族が平穏に暮らせること。そして、皆が平等で差別的な行動がなくなることです。
  残念なことに、今まさに、その差別的な行動が多く見られています。それは、新型コロナウイルスと闘う看護師の方々に対するものです。私たちは、いろいろなことをがまんしたり、自しゅくしたりしています。でも、医療従事者の方々は、毎日、自分を犠牲にして頑張っています。
  「コロナにかかっているかも。近づかないで。」
  私は心が苦しくなりました。私の母は看護師の仕事をしています。母は、
  「いつ、感染した患者さんが来るかわからない。不安だし、怖いよ。」
と、話していました。それでも、その恐怖心とたたかいながら、
  「一番大変なのは患者さんだから。」
と、笑顔で仕事に行きます。母の他にも、そうやって患者さんのために力を尽くしている人がいるのに、差別をする人がいるのです。私は、これでは、本当の平和は生まれないと思いました。
  世界に目を向けても同じです。辞典にのっていた平和の意味を考え、今の世界と比べても平和とはいえません。争いや差別、戦争がある国がたくさんあります。どうしたら、争いはなくなるのでしょうか。私は、お互いを思いやること、相手の気持ちを考えること、相手の良い所に目を向けること、そして、言葉で意見を交換し合うことを大切にすれば、争いはなくなると思います。これからを生きる私たちが、まずは自分自身が、そういう人間でありたいと思います。
  七十年前、命をかけて守ろうとした日本という国。その国を本当の意味で平和にするのも、幸せな国にするのも、私たち若い世代にかかっています。最後の世代の人たちの思いを受け継ぎ、共に平和の尊さを伝える役割を担っていきたいです。

中学生の部【優秀賞】

悲惨な過去から

三本木中学校3年 大沼 愛

   私はこの夏、「夜と霧」という、とあるユダヤ人の心理学者が強制収容所で被収容者として過ごした実話を描いた小説を読みました。その本を手に取った理由は、歴史の授業で先生から聞いた、第二次世界大戦中に起きたユダヤ人迫害に興味を持ったからです。歴史の教科書の中には、差別や戦争など様々な出来事があったことが示されています。どれも今となっては考えにくい出来事ですが、その中でも特に異質で残虐なユダヤ人迫害というおぞましい過去に興味を引かれたのです。
  その小説を読むと、教科書に載っていた事がいかにおおまかなものであるかがわかりました。生身の体験者が見た、おびただしい小さな苦しみ。毎日当然のように浴びせられる暴力や、少ない食料による栄養失調。感染症にかかったとしても、重症にならなければ薬の一欠片ももらえない。考えられないほどのストレスがたまる日々と重労働から辛さを感じないようにしようと、感情を自分で殺してしまうのです。人間が人間でない扱いを受けていた、という事実を知って、ひどく苦しくなりました。本を読んで、というはずなのに、まるで目の前でそれらが生々しく起きているかのように感じるまで読みふけっていました。こんな扱いを受けていいものか。と、授業中の時よりも強く感じ、誰に言うでもなく呟いていました。
  そんな悲惨な出来事が巻き起こる最中、ふと自分の立場と彼らを照らし合わせてみた時です。飢餓に苦しむ彼らに対して、私は温かいご飯を三食食べています。夜にはお風呂に入れます。あたたかな布団の上で眠る事もできます。身の回りには暴力はありませんし、いじめがあればなんとかしようと動いてくれる人だっています。それは私達にとって何の特別な事でもなく、当たり前に過ごしている事です。しかし、彼らユダヤ人の境遇にとっては、そんな小さな事が大きな希望であって、思い焦がれる最高で豊かな日々だったのです。彼らは皆、収容所を出たら美味しいご飯を食べる、友人と思い切りふざけ合うといった事を夢見ていたのです。そんなささやかなものに思える彼らの願望から、私達の暮らしは平和を基盤にして作られている事を痛感しました。それに気付いた時の複雑な感情は、上手く言葉や文字にできません。少なくとも、可哀想という安っぽい感情ではありませんでした。彼らがこの災厄を乗り切るための糧としているものに同情するのは、失礼のような気がしたのです。
  狭すぎる寝床にガス室送り。宗教的な目や、ユダヤ人の優秀さから昔から差別があった事も、ドイツ人の不満を人種差別へ向けたナチスの行いも許せないものです。しかし、こういった過去があるからこそ、私達は同じ過ちを繰り返さないようにしよう、という意識を持つ事ができるのではないでしょうか。私達が実際に収容所での体験をすることはできません。平和が根元にある私達の生活では、彼らが収容所でどのような気持ちになっていたのかを自分の事のように感じるのは難しいかもしれません。どうしても第三者の視点になってしまうかもしれません。けれど、それでもいいと思うのです。本であったり、人の話であったりを通した擬似体験なら私達にもできます。私が「夜と霧」を読んで平和に対する考え方が変わったように。もちろん、進んで過去の辛い話を知りたくないという気持ちもあります。けれど影を知らなければ明るい光も上手く感じ取れません。「知る事の大切さ」。過去を知らなければ、今の私達の生活がどれだけ幸せなものであるかを気付く事もできないのですから。
  私は、今の自分の生活に不満を持つ事が少なくなったと思います。自分の中の不満が少なくなれば、他人の事を考える余裕も出てきます。そしてふと、過去の肥大化されていない本当の苦しみを知り、次の世代へとその事実を伝え続けていく事がいかに大切な事かがはっきりとわかった気がしたのです。彼らの心の叫びは、私達の中にある良心を揺さぶります。差別のない世界が実現できるように、誰もが道徳的な心を持てるように、過去の過ちから学ぶこと。それが平和につながる第一歩だと私は思います。

中学生の部【優秀賞】

戦争から考える平和

古川東中学校3年 板垣 碧

  平和とはどのような世界のことをいうのだろうか。今現在、世界は平和であるといえるのだろうかと疑問に思ったことがある。そこで、平和という言葉の意味を調べてみると、戦争や暴力などで社会が乱れていないこと、とあった。この意味のままに考えると、少なくとも今の日本は平和であるといえるのではないかと思う。
しかし、日本も戦争をしていた時代がたくさんあった。そのたびに多くの人々が犠牲となり、今では想像もできないような苦しい生活を送っていた人々がたくさんいるという状況になった。
  今までの歴史の中でも大規模な戦争が、日本を含め多くの国が参加した第二次世界大戦だ。第二次世界大戦は日本が参加した戦争の中で一番新しく、今年で終戦から七十五年が経つ。たくさんの兵器が使われ、人々の生活も苦しくなり、多くの犠牲者が出た。しかし、終戦から七十五年が経った今、実際に第二次世界大戦を経験した人はだんだんと減ってきており、戦争の恐ろしさを知る人は多くはない。私も、周りに第二次世界大戦を実際に経験した人がいなかったため、直接話を聞いたりしたことはなく、学校の社会の授業で教科書で学んだくらいだった。
  八月十五日の終戦記念日、私はテレビで第二次世界大戦を経験した人へのインタビューと戦争をテーマとしたドラマを見た。今までは戦争のことをくわしく知ろうとは思わなかったが、三年生になって学校の社会の授業で戦争について学んでから、日本人として日本の過去の出来事をちゃんと知っておかなければならないと思い、インタビューやドラマを見た。インタビューでは、実際に経験したからこそ分かる戦争の恐ろしさを語っていて、その時の生活のようすなどを知ることができた。ドラマでは、まるで自分がその時代にいるかのような感じがして、戦時中の人々の気持ちなどを知ることができた。
  戦争とは、たくさんの人が犠牲となり、人を身体的にも精神的にも苦しめる恐ろしいものであり、二度と起こしてはならないものであると強く感じた。学校の授業では数時間で戦争について学んでいるが、何年にもおよぶ人々の苦労があったということを忘れてはいけないと思った。
  戦争について知ってから、私の中で平和という言葉に対する考え方が変わった。今までは、昔は戦争をしていたが、今は戦争がなくなったから平和だと考えていた。しかし今は、昔戦争があったから今が平和であるのだと考える。戦争が起きてしまったことは決して良いことではないが、戦争という困難を乗り越えたからこそ、よりよい国へ変われたのかもしれないと思った。
  例えば、一週間がずっと休みだったら休みを特別には感じないだろう。月曜日から金曜日まで学校へ行ったり仕事へ行ったりするからこそ土曜日と日曜日の休日が特別に感じるのだと思う。学校や仕事に行って頑張る日があるからこそ休日に休めることが特別に感じるように、戦争という大きな困難があったからこそ今が平和だと思えるのだと思った。
  今、日本では戦争は起きていないが、平和であることをあたりまえに考えてはいけない。今までに多くの人々の苦労があったから今の平和がある。そのことを風化させないためには、戦争のことを語り継がなければならない。しかし、第二次世界大戦を経験した方々の平均年齢は八十歳を越えていて、このまま語り継がれなければ戦争の恐ろしさを知らない人が増えるのも時間の問題だと思う。今私たちにできることは、戦争を繰り返さないために、当時の記憶を風化させることなく平和の尊さを次世代に語り継ぐことだと考える。だから、第二次世界大戦を経験した人がいる今、少しでも多くの戦争に関する情報を知っておくことが大切だと思う。
  世界には、今も紛争や内戦が続いている国があり、多くの犠牲者が出ている。また、現在世界中で新型コロナウイルスが流行していて、多くの死者が出ている。世界的に見て、そして平和という言葉を戦争や暴力で社会が乱れていないこと、という意味だけで見ずに考えると、世界は完全に平和とは言い切れないと思う。
  私の考える平和とは、常に困難と共にあるものであり、困難を乗り越えるからこそ平和がある。平和とはあたりまえではないのだと考える。これから先もさまざまな困難があるかもしれないが、互いに支え合い、認め合いながらその困難を乗り越えていきたい。そして、今ある平和がこれから先も続いていくように、時に立ち止まり、"今、平和なのか"と自問自答しながら生活していきたいと思う。

この記事に関するお問い合わせ先

政策課

〒989-6188
大崎市古川七日町1-1 市役所本庁舎3階

電話番号:0229-23-2129(政策企画担当、地方創生担当、多文化共生担当)、0229-23-2245(日本語学校推進室)
ファクス:0229-23-2427

メールフォームによるお問い合わせ