おくのほそ道(陸奥上街道)
陸奥上街道とは
「陸奥上街道」は奥州街道から一関で分岐し岩ケ崎、真坂・真山を通り天王寺追分で出羽街道にいたる道です。
元禄2年(1689)、江戸の深川を出発の地として芭蕉と曽良の奥の細道の旅が始まりました。この年は芭蕉の敬慕する西行の五百回忌にあたる年であり、平安期の能因法師、鎌倉期の西行法師ら多くの歌人が詠んだ歌枕の地をたどる旅でした。約5か月にわたる2400キロメートルの旅の中で、目的地のひとつであった平泉を訪れたのち、次なる目的地の尾花沢を目指して一関を出立しました。「陸奥上街道」はその際に芭蕉が通った道として知られています。
昭和53年から4年をかけて保存整備事業が行われ、平成2年には国の史跡指定を受けています。
潜松(くぐりまつ)
潜松(入口)
潜松(出口)
安永の「風土記御用書出」には上真山村の五坂の一つとしてくくり松坂の名が記載されています。「潜松」という呼び名は、かつて松の枝が交叉しあってトンネル状になっていたことから名づけられたと言われています。現在、松の木はほとんどありませんが、道の途中にはあずまやがあり、一休みすることができます。
千本松長根駐車場

千本松長根駐車場
↑橋を渡り右に曲がると千本松長根へ
千本松長根の入口には駐車場がございます。お車でお越しの際は、こちらの駐車場をご利用ください。
千本松長根

戦時中の松根油採取や近年の松くい虫の被害によってその本数は減ってしまいました。掘り起こされた際の竪穴は昭和53年度から4年をかけて行われた整備の際に埋められましたが、今でも一部は残っています。現在は松の植樹による復興が行われ、今なお古街道の面影をしのぶことができます。
磯良神社

磯良神社は、農業水利、縁結び災厄防止などに御利益があるとして、かつては地域内外から多くの参拝者が訪れ、信仰を集めていました。
地元では昔から「オカッパ様」と呼ばれており、真山地区では初物のキュウリをオカッパ様に奉納し、水難除けを祈ってから食べるといった風習があります。
また、藤原秀郷の家臣であったという「虎吉カッパ」や岩出山の「御酒屋とカッパ」の話など、いくつかのカッパ伝説が残されています。
狼塚
紅葉シーズンの狼塚
「三峰大権現」と刻まれた祠
狼塚は、江戸時代に広まったオオカミを守り神とする三峰信仰に関わるもので、この塚の頂部にには安政3年(1856)に建てられた三峰大権現の社があります。かつては豊作祈願の神としても、近郷近在の参詣者でにぎわいました。
秋には木々が色づき、普段とは違う風景を楽しみながら散策いただけます。
天王寺一里塚

一里塚は、江戸時代の街道に旅人の便宜を図るため一里(3,927メートル)ごとに道の両側に盛土して塚を築き、松や榎等を植えて目印としたものです。
天王寺一里塚は、全国でも珍しく街道の両側に塚が対になって現存しています。
天王寺追分
「追分」とは道が二つに分かれる場所を指します。天王寺追分は上街道と出羽街道の分岐する地点で道標を兼ねた山神塔が建てられており、かつては交通の要衝でした。
芭蕉一宿の地

元禄2年5月14日、芭蕉と曽良は岩出山に宿泊しました。宿泊先については曽良の日記には「岩出山ニ宿ス」とあるだけで詳しいことは記されていません。
散策する上での注意事項
・街道にトイレはありません。
・クマが出没するおそれがあります。クマ鈴の携行をおすすめします。
・ゴミはお持ち帰りください。
・バス等の公共交通機関はありませんので、各地点へのアクセス方法やルートの距離・所要時間を事前に確認してください。
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更新日:2022年02月09日