北小松遺跡(田尻地域)~縄文時代水辺の大集落~
場所 | 田尻小松字寺浦ほか |
時代 | 縄文時代・弥生時代 |
指定の種類 | ー |
文化財の種類 | 埋蔵文化財 |
水辺は縄文時代の快適空間
縄文時代の田尻地域の西部には湖があり、その周辺にはいくつかの集落がありました。その集落が現在の北小松遺跡です。発掘調査では、広場、住む場所、人や犬を弔う場所など、場所ごとに使い方を分けていたことが判明しました。
集落の中央は広場で、祭祀(さいし)などをしたと思われます。人々は広場の周りに掘立柱建物を建て、その外側には人や犬のお墓、使い終わった石器を集めた場所などがあり、さらにその外には、たくさんの土器などが捨てられていました。
集落は縄文時代晩期を中心に約1,000年ほど栄えましたが、弥生時代前期に起きた大洪水によって食糧がとれる湖が埋まってしまい、暮らしにくくなったことで大きな集落は無くなってしまいました。
海から遠いところに住んでいた縄文人は何を食べていたの?
集落の人々は、湖に生息する貝(イシガイ・タニシ)や魚(コイ・ギギ・ウナギ・ハゼ・ドジョウ・サケ)、水辺に集まる動物(イノシシ・ニホンジカ・ノウサギ・イヌ・タヌキ・カモ・キジ)、木の実(クリ・ドングリ・トチノミ・クルミ・ヒシ・ニワトコ・クワ・ヤマブドウなど)をとって暮らしていました。
食・葬・道具のタイムカプセル
集落の人々は、自分たちで作ったたくさんの土器や石器を使いながら生活をしていました。
亡くなると、お墓を造って屈葬という姿勢で埋葬しました。頭や足に逆さまにした土器をかぶせて埋葬された人たちもいました。また、犬を飼っていて、犬が亡くなると丁寧に埋葬しました。
もっと詳しく知りたいときは
パンフレットを見る
宮城県教育委員会で作成したパンフレットをホームページで見ることができます。
発掘調査の報告書を読んでみる
パンフレットよりもさらに詳しく知りたいときは、発掘調査の報告書を読んでみましょう。奈良文化財研究所のホームページ「全国遺跡総覧」で見ることができます。
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更新日:2024年05月13日