師山遺跡(古川地域)~海を渡ってきたお金~

「出土した宋銭」1960年9月1日河北新報掲載(提供河北新報社)
場所 | 古川師山字薬師ほか |
時代 |
縄文時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代 |
指定の種類 | ー |
文化財の種類 | 埋蔵文化財 |
渡来銭がやってきた!
日本は、10世紀半ばに「乾元大宝(かんげんたいほう)」を発行して以降、約650年もの間、お金を発行しませんでした。その間、人々は米や布をお金として使っていましたが、平安時代の終わり頃(12世紀半ば)になり、中国との貿易によって銭貨が輸入されると、人々は次第に渡来銭を使いはじめます。
出てきてびっくり埋蔵銭
昭和35年(1960年)、師山遺跡で大量の古銭が発見され、新聞に取り上げられました。新聞記事では、開田地の地ならしをしていた時に麻ひもでつながった古銭が土製のつぼに入っていた、と報告されています。この埋蔵銭は、現在636枚が残っており、銭名が確認できるものは全て渡来銭でした。
このように、13世紀半ばから16世紀後半の遺跡から大量の銭貨が入ったつぼが土中から発見される例が全国に多くあります。つぼに銭貨を入れて埋めた理由は分かっておらず、貯蓄、災害からの避難、おまじないや儀式のためなど、多くの説があります。
また、同じように、三本木地域大谷・桑折・蒜袋といった鳴瀬川の近くの地域で埋蔵銭が発見されています。鳴瀬川の両岸には、中世の集落や甕(かめ)などを生産した窯跡が分布していますので、川からモノを出荷したり荷揚げしたり、それを取引する際に多量の銭貨を使う場面があったのかもしれません。
今に伝わる師山遺跡から出土した埋蔵銭
埋蔵銭のほとんどは北宋の銭貨
もっと詳しく知りたいときは
『古川市史』を読んでみる
『古川市史』第6巻資料1考古に掲載されています。
閲覧場所 大崎市図書館、大崎市役所1階市政情報センター
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更新日:2024年08月23日