平和作文コンクール(令和4年度)
小・中学生平和作文コンクール(令和4年度)
大崎市では、子どもたちの平和に対する思いや考えを発表する作文コンクールを毎年実施しています。
令和4年度は112作品の応募があり、審査の結果、最優秀賞として小学生の部では西古川小学校5年 小定咲愛さんの「『平和』への第一歩」」が、中学生の部では古川東中学校1年 佐々木愛さんの「私達が知るべきこと」が選ばれました。入賞作品は下記のとおりです。
小学生の部
市内小学校5校から10作品の応募がありました。
最優秀賞(敬称略)
題名 |
学校名・学年 |
氏名(敬称略) |
---|---|---|
「平和」への第一歩 |
西古川小学校5年 |
小定咲愛(こさださくら) |
優秀賞(敬称略)
題名 |
学校名・学年 |
氏名(敬称略) |
---|---|---|
身近にある偏見や差別について |
西古川小学校6年 |
後藤幸恵(ごとうさちえ) |
平和について思うこと |
敷玉小学校6年 |
浅野心菜(あさのここな) |
中学生の部
市内中学校7校から102作品の応募がありました。
最優秀賞(敬称略)
題名 |
学校名・学年 |
氏名(敬称略) |
---|---|---|
私達が知るべきこと |
古川東中学校1年 |
佐々木愛(ささきまな) |
優秀賞(敬称略)
題名 |
学校名・学年 |
氏名(敬称略) |
---|---|---|
平和とはなにか |
古川東中学校1年 |
大場蒼華(おおばあおか) |
私が考える平和 |
古川南中学校3年 |
三浦唯愛(みうらいちか) |
平和の形 |
三本木中学校2年 |
川岸裕翔(かわぎしゆうと) |
今が一番幸せだ |
岩出山中学校3年 |
今野涼音(こんのすずね) |
平和作文集
小学生の部【最優秀賞】
「平和」への第一歩
西古川小学校5年 小定 咲愛
私にとって、平和とはなんだろう?自分だけが幸せだったら、平和なんだろうか。戦争のない状態が必ずしも平和とは限らないのではないか。世界中のみんなが幸せで、誰かが幸せではない状態は、平和と言えるのか。こんなことを考えると、頭の中でいろいろなことがぐるぐると交差し、どんな状態が平和なのか分からなくなってしまいました。
辞書で「平和」という意味を調べてみると、おだやかで、和らいでいること。特に戦争がなく、世の中が安のんであること。という二つの意味が書かれていました。「日本は平和な国である」と聞くことがよくあります。確かに日本は、「平和主義」が憲法の中で定められ、「戦争を二度としない」と国で決めています。本当に、日本は「平和である」と言えるのでしょうか。現在の日本には、もちろん戦争はありません。しかし、日本の人たち全員が、おだやかで、和らいだ状態であるとは言えないと思うのです。そう考えると、日本は「平和」ではないのではと思ってしまいます。
私は六人家族です。ちゃんと学校に行かせてもらっているし、毎日のご飯もおいしく食べることができています。お風呂にも入れるし、夜には安心してねむることができる、日本ではふつうの家族です。でも、毎日おだやかなわけではありません。父や母、祖母が、言い争いをしたり、ぐちを言ったりしていることがよくあります。そんなときは、やっぱり、(なんで、けんかするんだろう。)と思い、とてもいやな気持ちになります。私の家はこのようにいつもおだやかなわけではないので、辞書の意味から考えると「平和」ではないことになります。しかし、このようなふつうの生活がこわれてしまったらどうなるのだろうかと考えると、違う結果にたどりつきました。きっと家族がいなくなったら、私は毎日一人で悲しい思いをしているのだと思います。いくらけんかをしても、家族といっしょにご飯を食べたり、学校での出来事を話したりすることが私にとって幸せなのだと思うのです。だから、ちょっといやなこともあるけれど、家族全員が幸せだと感じている私の家は「平和」なのだと思います。
では、世界の「平和」とは、どのような状態なのでしょうか。もちろん、辞書にも書いてあるとおり、戦争がない状態は、「平和」につながると思います。以前私は、戦争のまんがを読んだことがあります。皮ふが溶けた人や、黒こげになった赤ちゃんの絵がとても残こくで、見ていられませんでした。これを見ると、なぜ戦争をしたのか?とすごくぎ問に思いました。国同士が自分の国のことばかりを考えて、領地を広くしたいとか、自分の思うとおりにしたいとかいう利益のために戦争を起こすなんて、自分勝手だと思うのです。私は、いつも友達と接するときに、けんかにならないように気を付けています。何か言われても言い返さないようにしたり、相手の気持ちを考えて言葉を選んだりしています。国同士でも、そのような思いやりの心が必要なのだと思います。何気ないふだんの、人と人とのつながりのように。
世界の人々みんながちょっとでも幸せだと感じられることが、「平和」への第一歩となるのだと、私は思います。そのために私たちはふだんから相手のことを考えて言葉を選んでいくことが、後には世界平和につながるのだと私は信じています。
小学生の部【優秀賞】
身近にある偏見や差別について
西古川小学校6年 後藤 幸恵
私は、平和とは、みんなが幸せにくらせる事だと思っています。戦争などは、あまりよく分かりませんが、身近な事なら分かるのでその事について書きたいと思いました。
調べた結果、偏見や差別なども人を傷つける暴力と知りびっくりしました。言葉の暴力は、分かっていましたが、そんなに沢山の暴力の種類がある事におどろきました。
資料には、人を傷つける偏見や差別などにつながるこういは断じて許されないものです、などと、自分が思っている事がじっくり書いてあったのですごいと思いました。
偏見は、誰しもがしてしまう事だと思います。本当はちがうかもしれないけれども、見た目やうわさなどで、決めつけてしまう人が多いと思います。もしかしたら、うわさがまちがっているかもしれないなどと少しでも考えれば偏見をわずかでも減らせるかもしれないと思います。
しかし、中には「そうした外見をしているから良くない」、「うわさを流されるほどの事をしていた方が悪い」などと考える人もいると思います。
確かに言われる方も気を付けた方が良いとは思いますが、だからといって偏見をして良い理由にはなりません。
もしかしたら、ちがう可能性があるのに、見た目やうわさなどで判断し決めつけてしまう人が多いかもしれません。その事のすべてが真実とは限りません。
インターネットと同じように正しい情報とまちがっている情報を見分けていけたら良いと思います。
例えば、差別にも外国人や障害のある方、ホームレスの方、原発避難の方や人種などを理由としたあらゆる差別があり、最近では、新型コロナウイルスにかかった人を非難したり偏見で見たりする事もあったそうです。
私は、みんな同じ人間なのになんで差別をするのかと思いました。差別する事は、まちがっていると思います。暴力や暴言、悪口、いじめをされたら誰でもいやな気持ちになります。差別をしている人だって、自分がされたらいやな気持ちになると思います。
私も偏見や差別を意識していないうちにしてしまうので、思ったとしても口に出さずに相手の立場になって考えたり、相手を理解したりする事が大切だと思いました。
そして、自分もみんなも一緒に幸せになっていけるように、身近なところから自分にできることをしていきたいです。元気なあいさつや一人一人を大切にすること、困っている人がいたら声をかけることをしたいと思います。
小学生の部【優秀賞】
平和について思うこと
敷玉小学校6年 浅野 心菜
私がなぜ平和について作文を書こうと思ったかというと、毎日テレビのニュースでロシアとウクライナの戦争を見るようになり、ぎもんを持ったことと、これからどうすれば平和を守れるかと思ったからです。
まず最初に、この戦争が始まったのが二〇二一年十二月です。それから今でも続いています。最初のぎもんは、なぜ戦争を始めたかということです。ネットを見ると、二つの国は仲の良い関係でした。しかし、ウクライナがアメリカとヨーロッパとたくさんの国が入っているグループ「NATO」北大西洋条約機構に入ろうとしたのでロシアは自分たちが攻められるかもしれないと心配になりました。ロシアは止めましたが、ウクライナはそれに反対して、かめいしようとしたのがきっかけだと書いてありました。
なぜそんなことで戦争を始めなければならないのかと思いました。ロシアがウクライナを攻めてたくさんの人々を悲しませたり、とうとい命をうばったりしています。私は戦争のばくだんで家や学校や病院が焼ける映像を見ると胸が苦しくなります。
なぜ、国を守るために自分の命をかけて戦いをしないといけないのでしょうか。いくら考えても私には理解できません。
次にどうしたら平和が守られるのか、私は考えてみました。一つだけ思いついたのは、すべての人が命の大切さを考え、戦争のことを知ることだと私は考えます。
だから私は、平和について考える時は、戦争をするのではなく、お互いによく話し合って問題を解決することが、大切だと思います。私は、今まで戦争について考えたことはありませんでした。でも、この二つの国の戦争で身近でも起きるということが分かりました。そして、どんなことがあっても、決して自らの手で戦争を起こしてはならないと強く感じています。みんなで手と手を取り合って幸せな国になりますように。心から願っています。
中学生の部【最優秀賞】
私達が知るべきこと
古川東中学校1年 佐々木 愛
「この戦争を止めたい。国民が命を落としているんです。私達はできることをしていいニュースを届け、戦争にもこの大会にも勝てることを信じています。」世界陸上に出たウクライナ選手はこう言いました。国民の気持ちを代弁したような、とても強い気持ちがこもった言葉だと思いました。
私は平和について考えることがほとんどありません。ウクライナの戦争や八月六日や、九日になって、改めて考えるようになりました。八月六日、広島に原子爆弾が落とされました。一瞬にして、数十万人の人の命が奪われました。テレビやインターネットでもいいのでこの事実を、私のような若い人達も知らないといけないと思います。
アメリカ軍による原子爆弾投下から七十七年。その時生まれた赤ちゃんも、七十七歳ということです。被爆者が少なくなってきて、原爆投下の記憶を伝えられなくなっています。伝えられなくなると、また人々は同じことを繰り返してしまうと思います。それが、今のロシアのウクライナ侵攻なのではないでしょうか。
始まったばかりの頃は、ニュースや新聞などで、たくさんの人に注目されていました。それが今はどうでしょう。ロシアのウクライナ侵攻はまだ終わっていないのに、この頃はあまりニュースに出ていません。ウクライナとロシアは共に、死者数は数万人に達しているとニュースで出ていました。こんなにも死者が出ているのに、ロシアは戦争に勝って幸せなのでしょうか。人が死ぬことと引き換えに平和を手に入れても、それは本当の平和ではないと思います。
そんな中、私は信じられない事実を知りました。スポーツ選手達が各地の大会で優勝したメダルを売っていることが分かりました。選手たちはそのお金を病院など、ウクライナの人々の為に使っていました。国が危機の中、貢献していることに私は感動しました。
ウクライナが危機の中、私達は何ができるのでしょうか。この前、ウクライナへの募金を見つけて、少しでも役になったらいいなと思い、私も募金をしました。私のできることはこのぐらいしかありません。
戦争は、どこか遠いところで起きていると思ってしまいます。私達はこの地球で暮らしているのだから、日本でも、いつどんなことが起きるか分かりません。クラスでいじめが起きるようなことも、争いだと思います。
愛することや平和については、私たちも政治家の人も良く使う言葉なのに、みんな口だけで守らず、争いが起きてしまっています。「核兵器のない世界へ」と言ってはいますが、ではなぜ持っているのでしょうか。他国の大統領達は核兵器をすぐに使える状態にしています。
私の曽祖父は、昭和十八年、召集令状がきて出兵したそうです。配置された満州で、病気にかかり、しばらく闘病生活を送りました。「国の為に働けないやつは、いる意味がない」などと冷たくされたこともあったそうです。でも、その後は病気が回復し、戦地に行けたそうです。終戦してからも、三年間、ソ連の捕虜になって戻れなかったそうです。待っている家族は、もう死んでしまったのではと思ったと思います。会えた時の気持ちを考えると、どれだけうれしかったかと思います。曽祖父は、食卓につくと、「食べられるものは、なんでも生で食べたんだ。だけど、どんなにお腹がすいていても、じゃがいもだけは食べられなかった。」とよく言っていたそうです。食べ物を粗末にしなかったり、物を長年使っていたりすることも、その経験があったからかもしれません。だから、私は皆にいつもの何気ない日常を大切にしてほしいと思います。「あれがほしい」など、わがままが言えるのは、いつもの生活があるからです。
日本は平和だと言われているけれど、先日自分で作った銃で、政治家の人が撃たれる事件がありました。戦争やテロは怖いけれども一般人が起こしたということが平和から離れていっている気がして、とても怖いです。個々の日常生活の中でも、憎しみや怒りの感情を抱えながら、生活している人もいるのだと思いました。
私の名前には「愛」という漢字が使われています。愛の字はどんなことにも使えるので気に入っています。愛とは、「生あるものをかわいがり、互いに相手を慕う情」と書いてありました。愛している国や、愛している人を悲しませないように、一人一人が相手を思いやる優しい気持ちを持つことが、大切だと思います。私も、大事な人の幸せを願う温かい心を持てるように、これから行動していこうと思います。
中学生の部【優秀賞】
平和とはなにか
古川東中学校1年 大場 蒼華
皆さんの考える幸せとはなんでしょうか。私が考える幸せの一つ目は、友達がいることです。なぜなら、笑い合ったりすることができるからです。また、同じ目標に向かって、一緒に頑張ったりはげまし合ったり、辛いことや悲しいことがあった時に支えてくれるからです。二つ目は、家族がいることです。なぜなら、自分が困っているときに相談にのってくれたり、ご飯をつくってくれたりするからです。三つ目は、勉強ができることです。なぜなら、問題が解けると、満足感を感じられ、知らなかったことを知ることができるからです。
しかし、世界を見てみると悲しいことが起きています。ロシアとウクライナの戦争です。今ウクライナの人達は、私が考える幸せが当たり前だと感じられなくなっているのではないかと思いました。ウクライナの人達の幸せとはなんでしょうか。テレビでは、避難食を食べている女の子が映っていました。食べることが当たり前にできる私達ですが、ウクライナの人達にとって食事ができるのは当たり前ではないのだと感じました。他にも、お風呂にはいれない人がいたり、水道の水が飲めない人もいました。それを見た時に、私が二才の頃にあった東日本大震災のことを考えました。記憶はあまりありませんが、家族から聞いた話では、水も電気も使えなくて、大変な思いをしたそうです。ウクライナではそんな生活が何カ月も続いているのかと考えると本当に辛いだろうし、悲しいことだと思いました。私は他にも心を痛めるニュースをたくさん見ました。お母さんとはぐれてしまった男の子が映っていました。泣きながら、自衛隊の人に保護されていました。もしも、それが自分だったらと思うと恐ろしくて仕方がありません。きっと男の子は、泣きながら怖い思いをしながらずっと一人でいたんだと思います。世界には、今こんなに苦しんでいる人がたくさんいるんだと思いました。
世の中の情勢のことについて母から、憲法が変わってしまうかもしれないという話を聞きました。日本は戦争をしないといっているのにアメリカが戦争をしたら、助けるような仕組みになると聞きました。私はその話を聞いて、日本が助けてしまったら、日本はその戦争に加わっていることになります。そして、日本が敵だと思われてしまい日本でも戦争が始まってしまうのではないかと思いました。そうなると、私が考える幸せがなくなってしまいます。
憲法第九条には、こう書かれています。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
この憲法を読んでの私の感想は、この憲法を作った人達は国を平和にしたくて、誰かの大切な人や自分の大切な人を守りたくて作ったのだと思います。そのたくさんの思いや行動がこの憲法を作ったのだと思います。だからこそ憲法を守っていくことは大切だと思いました。
今日私は、平和について考えながら様々な新しいことや事実を知ることになりました。そして、今、私達がやるべきことはボランティアではないかと考えました。理由は、ボランティアならスーパーやコンビニなどで置かれているような募金をすることでウクライナの人達の避難食や水を買えるのではないでしょうか。今、私達がウクライナの人々にできることは、心のケアや食事をとることだと考えました。なぜなら、募金は無理にするものでもなくて、やりたい人がやりたいときにできるのでいいと思いました。
しかし、もちろんこれだけで世界が平和になるとは思っていません。ウクライナの人々は、今も被害にあっています。でも、私達ができる最低限の事はやりたいと思いました。
今、憲法第九条では、戦争はしないとなっているので憲法を守りたいです。そして、戦争をしない大人になりたいです。今までどうして大人は選挙にいくのかなと思っていましたが、それは自分のためや家族のため、生活や平和な暮らしを守るためにいっているんだと初めて知りました。そのために、選挙権をもったら、選挙にいって私達の平和を守ってくれる人に投票したいと思いました。
平和について考えてみると、自分の周りには、友達がいること家族がいること、当たり前ではない、たくさんの幸せがあるんだなと感じました。私が伝えたいこと、願っていることは、世界中の人が笑顔になること、世界中が平和で楽しく暮らせるようになること、戦争が一日でもはやくなくなってほしいということです。
中学生の部【優秀賞】
私が考える平和
古川南中学校3年 三浦 唯愛
私は今この時の毎日の日々はとても平和でこれが当たり前の日常だと思っていました。戦争はずっと遠い昔のこと、ずっと遠くの国のこと、私には無関係だと思っていました。しかし現実はそうではありませんでした。
今現在、中東の国では考え方や宗教、文化の違いによって対立が生まれたくさん戦争が起き、そしてたくさんの命が失われています。戦っている人の中には兵士として戦闘と他者の殺害を強要されることもあり、心と身体に大きな影響を受けるのだそうです。勝者となって帰還出来たとしても精神が崩壊されたのでは、幸せであるはずがありません。
また、私は、テレビやSNSなどでウクライナの現状を知りました。これは核保有国がおおっぴらに核を脅しに使った最初の戦争です。ウクライナの多くの都市はミサイルで破壊され、たくさんの一般市民が犠牲になっています。犠牲者には子どもも多くいます。そして、多くの国民が難民となり、失ったものはあまりにも大きいです。
このような中で生きている人達はどんな気持ちでしょうか。目の前で死んでいく大切な人。壊されていく大切な故郷。きっと怖くてたまらず、生きている実感もないほどにぼろぼろの精神なはずです。
こうしている今も、大切な友人や家族を失ったり、家族を守るため、自分の命を守るため人を殺してしまう人もいるかもしれない。何の罪のない命が失われていく毎日。私には想像出来ないほど非現実的な大変恐ろしい事です。もし、自分がこのような立場だったらどうしているでしょうか。私の曾祖母は戦争が起きている時、辛い、悲しいよりも敵に見つからないように、空爆を落とされないように逃げながら、どう生き延びるかということに必死だったといいます。私はこの話を聞いて改めて戦争はいかに残酷で悲惨なものかを知りました。
人は何度も対立します。人は皆、価値観や考え方も違うので当たり前です。しかし、それが戦争をする理由にはなりません。宗教やイデオロギーが違っても、皆が違いを認め合い、過去を許し合い、共存する道を選べばいいと思います。それが容易ではないから戦争が起きているのかもしれませんが、人が悲しみだけを感じる戦争は愚かな行為でしかないと強く思います。
私は日本というとても平和な国に生まれて本当によかったです。そして私達は戦争のない日本に生まれたことに感謝するとともに、世界中に平和の大切さを訴えなくてはならないという使命があると思います。それは日本は世界で唯一の被爆国であり、その恐ろしさを一人一人が理解して、それを海外へ、後世へ伝えていく事が大切だと思います。そしてもっと命の大切さを学び平和な世の中にしていかなくてはならないと思います。
私は一刻でも早く戦争のない平和な世の中になる事を心から願いたいと思います。それは平穏な毎日であることが豊かな心を育める一番の近道と考えるからです。
中学生の部【優秀賞】
平和の形
三本木中学校2年 川岸 裕翔
平和とは何だろう。自分に問いかける。考えた末、平和とは「いつも通り」でいられることだと分かった。
現在、ロシアとウクライナとが戦争を行っている。この戦争によってたくさんの死者がでている。両国の家族を失った人、大切な人が亡くなってしまったという悲しみや、怒り、いろいろな感情が重なるにつれ、どちらの国にも「いつも通り」がなくなってきている。
「いつも通り」がなくなるとどうなるのだろう。私は考えているうちに同じような出来事を見つけた。
今から五十年以上前の話だが、東京に爆弾が落とされた。東京大空襲である。この空襲により、十一万五千人以上の死者がだされてしまっている。この数字を聞いた時、私は大きな悲しみをおぼえた。この悲しさを自分の心の中に留めずいろいろな人に知ってほしい。そう感じた。
「ヒロシマのうた」この言葉を聞いた時に何を思うかは分からない。だがこの話は、まだ私が幼かった時でさえも悲惨だと感じた。たくさんの死者、行方不明の人、いろいろな人の話だったが一つだけ鮮明におぼえているものがある。それは、とあるお母さんが自分の子に「ミーちゃん」と呼びかける所だ。この一言で原爆のおそろしさを語っているようにも聞こえた。「ヒロシマのうた」、これは私に衝撃を与え、人が亡くなるということがどういうことなのかを教えてくれた。
家族や大切な人がいるもの同士が、なぜ戦争を起こし、原爆を落とすのだろうか。私には到底理解ができない。この時代の人々が、現在やもっと未来に生きていればどれだけ幸せだっただろうか。私はそう考えれば考えるほど胸が縛りつけられる。確かに、戦争などをすることで利得があったかもしれない。だがそれは、皆が一人一人理解して行ったことなのだろうか。
それは本人たちにしか分からない。だが少なからず反対したものもいただろう。
私たちはそんな反対した人の気持ちを背負って生きていかなければいけないと思う。
私は、小学校から中学校に上がる時、小学校の友達とは別の中学校に入学した。初めは、誰とも会話が出来なかったが今となっては普通に会話が出来るようになった。そしてたくさんの事ができるようになった。
たくさんの事ができるようになり、私は嬉しさで胸がいっぱいになった。いっしょにどこの中学校にするか悩んでくれた両親、たくさんの応援してくれていた友人に、とても返しきれないぐらい大きな思いを感じている。
この大きな出来事から私は「いつも通り」の姿でいればいい、と分かった。
自分が体験して初めて分かった「いつも通り」である大切さ、そして「いつも通り」の姿でいられるようにしてくれているたくさんの人のありがたさが分かった。
戦争や原爆で亡くなられた人や、またそれを体験した人、その体験した人全員が思うであろう。やはり争いや死人が出てしまうようなことはやるべきことではないと。そして「いつも通り」の幸せが続いていくことが一番の平和だと。
東京大空襲、広島の原爆、これらのことをなぜ私たちが知っているのか。それは、体験した人から次の人へ、またその次の人へと、タスキがわたされているからであると私は考える。
私は、自らがこのタスキを次の人へつなぎたいと思っている。戦争の残酷さ、また「いつも通り」であることが平和につながっていくと知ってもらうために。
中学生の部【優秀賞】
今が一番幸せだ
岩出山中学校3年 今野 涼音
「今が一番幸せだ。」
二年前に亡くなった曾祖母がよく言っていた言葉です。
曾祖母は享年九十九歳という長命でした。曾祖母とは同居していて仲が良かったので沢山昔の話を聞かせてくれました。特に印象に残っているのは戦争の話です。
曾祖母は幼少期に父と母が離婚した後、父の再婚相手の意地悪な継母と暮らしました。冬には冷たく濡れた雑巾を顔に思いきり押し付けられたりと虐待を受けていました。曾祖母は、一番母親に甘えたい時期に甘えられないどころか、継母にいじめられるという辛い経験をしました。幸い弟とは仲が良く、二人で支え合って生きてきたのかなと私は思いました。でも弟は、二十歳という若さで亡くなりました。第二次世界大戦で兵隊に行ったきり帰ってくることが出来ませんでした。
「遺骨すら帰ってこなかった。亡くなったことが書かれた紙切れ一枚だけが家に届いた。」と曾祖母が悲しそうに話していました。
戦争は末期にかけ酷くなる一方でした。第二次世界大戦、日本に原子爆弾が二発投下されました。長崎、広島では原爆によりたくさんの人が命を落としました。私は小学四年生の頃、長崎の原爆資料館に行きました。当時小学校一年生の弟は怖くなって泣きそうな顔をしていました。資料館内にはボロボロの服や爆弾の模型、時間が止まった時計などが展示されていて戦争当時の人々の大変辛い思いが伝わってきました。資料館を出た後も気が沈んでいた記憶があります。
今、世界中の人がみんな幸せでしょうか?私はそうは思いません。なぜこれほど辛い思いをした人が世界中にいたのに今でも戦争によって辛く苦しんでいる人が沢山いるのでしょうか?平和を望む人の方が圧倒的に多いのにどうして?ネットで調べてみると宗教による争い、異なる民族の意見の違いなどと書かれていました。だけど、どんな理由があっても人を殺すというのは絶対にしてはいけません。
私は戦争の話を聞いたり、映画を見たりなどと知識を得ることが出来ました。その知識は後世に伝えていかなくてはならないと思います。今はテレビで戦争の生々しい映像を放送することが禁止されているなどと子供が戦争について触れる機会が少ないし、実際に戦争を経験した人が亡くなっていったりと戦争の悲惨さをこのまま忘れてしまったらまた戦争が起きてしまいます。そんなことには絶対になってはいけません。戦争を防ぐためには、戦争を無くすためには、私たちが戦争の恐ろしさ、悲惨さを語り継がなければなりません。私たちが出来ることは些細なことだけど沢山あるはずです。些細なことを多人数でやれば沢山の人を助けられます。それで世界中の人がみんな幸せと言っていたらとても素敵な世界だと思いませんか?
現在の日本は昔と比べ平和だと思います。美味しいものが沢山食べられて綺麗な水が飲める。私は平和な日本に生まれることが出来て本当に幸せです。この幸せがずっと続いてほしい。そしてこの幸せが世界中に広まってほしいと思います。
私は曾祖母がよく言っていた「今が一番幸せだ。」を永遠に守っていきたい。続けていきたい。と思います。そして私も将来曾祖母のように言いたいです。
「今が一番幸せだ。」と。
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更新日:2023年05月23日