平和作品コンクール(令和5年度)

更新日:2023年12月27日

小・中学生平和作品コンクール(令和5年度)

大崎市では、子どもたちの平和に対する思いや考えを発表するコンクールを毎年実施しています。

令和5年度は小学生の部の応募形式をポスターコンクールに変更して募集しました。計40作品の応募があり、審査の結果、最優秀賞として中学生の部の古川東中学校1年若菜心美さんの「平和に対する私の思い」が選ばれました。入賞作品は下記のとおりです。

小学生の部(ポスターコンクール)

奨励賞

記念撮影その1

平和ポスターコンクール(小学生の部)

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

おそろしい原爆

古川第五小学校5年

神成 蒼汰(かんなり そうた)

世界の人々を一つに

古川北小学校5年

阿部 陽菜(あべ ひな)

平和ポスター集

奨励賞 「おそろしい原爆」 古川第五小学校5年 神成 蒼汰
おそろしい原爆
奨励賞 「世界の人々を一つに」 古川北小学校5年 阿部 陽菜
世界の人々を一つに

中学生の部(作文コンクール)

記念撮影その2

最優秀賞

平和作文コンクール(中学生の部)

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

平和に対する私の思い

古川東中学校1年

若菜 心美(わかな ここみ)

優秀賞

平和作文コンクール(中学生の部)

題名

学校名・学年

氏名(敬称略)

永遠の戦後を祈って

古川東中学校2年

阿部 結菜(あべ ゆな)

平和への思い

古川北中学校3年

氏家 陽菜(うじえ ひな)

平和作文集

最優秀賞 「平和に対する私の思い」 古川東中学校1年 若菜 心美

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻は始まり、約1年6ヶ月が経つ。テレビなどでは「平和な世の中に」などという言葉を多く耳にするようになり、自分自身、深く意味を考えず、きれいごとのように「平和」という言葉を口にしてしまっている。「平和な世の中」とは、どんな状態を指すのか。この作文を機に、私が思う平和について考えてみた。

「戦争や紛争がなく、世の中が穏やかな状態にあること」「和やかで安定している様」辞書で調べると、これが平和の定義だった。それならば、今の日本は平和な国だと思うし、「日本は平和な国」というイメージを私たちの世代は持っている。戦争もしていないし、テロが起こるわけでもないからだ。

ロシアのウクライナ侵攻が始まった要因はもともと兄弟国だったウクライナがNATOに加盟しようとしているのを阻止するためだ。ロシアは軍事的緩衝地帯がなくなるのを避けたかったのだ。こうした理由から始まった戦争だが、周囲の国々にもたくさんの影響を与えている。ウクライナの状況をニュースで見ても、本当にこの地球上で起こっているのかと思うくらい、どこか現実離れしているような気がしている。だが、これは決して、はるか彼方で起きていることとして考えてはいけないのだ。

ロシアとウクライナは、穀物の一大産地だったため、日本では小麦やトウモロコシを使った食品などの価格が上がった。さらにロシアは石油の生産地でもあるため、ヨーロッパの国々は石油を使う製品の価格が上がった。

日本から遠いウクライナ。この戦争が起きるまで、ほとんどの日本人は関心を持つことも、場所さえ知らなかったかもしれない国。だが、波紋を広げるように影響は日本にまで届いているのだ。

ところで日本は平和なのだろうか。今のような毎日は私が大人になっても、ずっと続いていくのだろうか。

私は、こう思う。戦争をしていない、という点では平和だ。だが、地球上の一部が戦争をしているだけで、地球全体のバランスが崩れ、どの国も本当の平和から離れていくのではないかと。

遠く離れている日本でさえ、たくさんの影響を受けている二つの国の争い。それならば、戦場はどれくらい苦しいのだろうか。どれだけ悲しい状況が目の前に広がっているのだろうか。

テレビや新聞を通じて届いたウクライナの人々の言葉、衝撃的な映像が心を刺す。「激怒しているというよりあまりに悲しくて恐ろしい。」「民間人は殺さないと言っていたのにそれさえ裏切った。」袋に入れられている遺体を人が引きずって運ぶ写真、道端に転がる人間のような形をしたもの・・・。中には手足を縛られたり、拷問の末、亡くなった人もいたそうだ。最期まで恐ろしい思いをしてこの方々は亡くなったのだと思うと、知り合いでもないのに、何か知人が亡くなったような、胸がぎゅっと締め付けられるような気がした。

だが、私は、大切なことに気づいた。何ヶ月か前までは、毎日のようにウクライナの状況をニュース番組で放送していたのに、最近はあまり見ないことに。疑問に思い、父に聞いてみた。すると「国民の関心が薄れているとテレビ局が判断したか、戦争の情勢が前と変わらないからじゃないか。」という答えが返ってきたのだ。本当にそれでいいのだろうか。

確かに私が戦争の情勢を見ても何も変わらないし、辛い映像を見ると苦しい気持ちになる。でも、私たち視聴者の関心が薄れてしまっても、状況を知る機会があることは大切だと思う。戦争をしてはいけないという気持ちになるし、戦争を知ることによって、「平和」がどうあるべきかということに気づくことができるからだ。

私が思う「平和」とは、当たり前の生活が当たり前に続いていくことだ。もしかしたら「平和」には特別なことは何もいらないのかもしれない。食べるものがあり、安全に住める場所があり、笑い合える家族や友だちがいる。これが「平和」ということなのだ。

私たちには、寄付や募金をすることや、戦争は絶対にしてはいけないという気持ちを持つことしかできないかもしれない。それでも、一人一人が平和について考え、意識することで、本当に平和な世の中に少しでも近づけるはずだ。ただ祈るだけではなく、悲惨な事実にも目を背けず、現実を知ることが大切なのだと私は思う。

「こんな世界にしたい。」という思いをいつも忘れず、持ち続ける大人に、私はなりたい。本当の平和の意味を一人一人が考え、それに向けて進んでいくことが、未来を担う私たちに課せられているのだと私は思っている。

優秀賞 「永遠の戦後を祈って」 古川東中学校2年 阿部 結菜

「今生きている日本人がほぼ誰も経験したことのない戦前が、もうやって来ている。このままでは同じ道をたどることになる。永遠の戦後を続けなければならない」

この言葉は、戦後78年目を迎えた今年、あるタレントの方が述べたものです。これを耳にした時、私は久々に背筋が凍るような感覚を覚えました。同時に、毎日学校へ行けること、勉強ができること、好きなものをいっぱい食べられることは、決して当たり前のことではないということを改めて心に留めるようになりました。

「戦前が、もうやってきている」

ふだん自分のことだけを考え生活している私ですが、この言葉によって、現在のおかれている世界の状況に、知らず知らずのうちに目を向けていました。

世界では、今現在も、戦争が続いています。ニュースでは、ウクライナとロシアが多く取りあげられていますが、その他にも、ミャンマーやアフガニスタンという国でも、戦争が続いています。

私は、実際に戦争を経験したことがありません。それに、私の身内でも、戦争を経験した人はいません。そのため、教科書にのっている話やテレビなどのメディアで放送していることしか分かりません。しかし、それを聞いただけでも、すごく怖いなと感じます。昔経験したことがある人、今現在経験している人は、私たちの何十倍も恐怖と戦っているんだなと思います。

戦争の理由には、宗教のちがいや、民族のちがい、資源の奪いあいなどさまざまな理由があります。戦争をしても、なにも良いことがおきないし、悲しい思いを背負う人が、多くなるだけだと思います。

東日本大震災などの大きな災害のときには、たくさんの国の人が協力して、助け合いをしていてすごいなと思いました。震災のときのように、たくさんの国が協力しあえたら良いなと感じます。1945年、8月、日本でも実際に、広島県と長崎県でも原爆が投下され、たくさんの人が犠牲となってしまいました。このことは、絶対に忘れてはいけないことだと思います。今の日本において、空襲に見舞われることは、極めてまれなことです。しかし、いつ、どこで、なにがおきてもおかしくない現状にあります。しかし、2度と犠牲者を出さないためにも震災の時のように、国境を越えて互いに知恵を出し合い支え合うことが必要なのではないでしょうか。

戦争の他にも、貧困の中で暮らしている、人権問題で苦しんでいるなど、世界には、さまざまな社会問題で悲しんでいる人、苦しんでいる人が多くいます。貧困では、教育格差、医療格差などの影響があります。六人に一人の子供が、貧困の中で暮らしているのです。そのため、学校に通えない子供や、病院などに行けない人がたくさんいます。学校へ通えず、小さいころから働く必要があり、きちんとした教育をうけることができない人、医療が発展しておらず、助かるはずの命を失ってしまうということが多いのです。貧困を、今より少しでも減らすために、私たちができることは募金や、ボランティア活動も、もちろん大切なことですが、まずその国について、よく知っておくことが、必要だと思うのです。貧困で苦しんでいる国は、いったいどこなのか、どうして貧困はおこってしまうのか、私たちができること、協力できることはなんなのか。真実の情報をしっかりと獲得していく必要があります。

このような問題は、日本以外の国でおこっていると感じている人が多くいると思います。しかし、日本は世界貧困率で14番目となっています。日本では特に、沖縄県、高知県、鹿児島県、徳島県の貧困率が高いです。私たちが住む日本でもそのような問題があります。同じ日本に住む者として自分達のやれることを、やっていきたいと思います。

その他、人種差別についても、問題視されています。人種差別とは、民族、宗教文化などのちがいで、人を差別することです。ニュースでも、人種差別で暴力を加えるなどのニュースをよく目にしますが、人として決して許してはならないことです。人種差別をなくすためには、間違った偏見をなくし、互いを認め理解していくことが求められます。

戦争、貧困、人種差別…。世界は今、決して安心して生活できる状況ではありません。そのために、まずは日本の、世界の現状を理解し、自分が理解できることは何なのか、身近な仲間とできることは何なのかを考え、一つ一つ行動にうつしていきたいと思います。自分だけではなく世界中の人一人一人が何の不安もなく生活できること。そこに真の平和があるのではないでしょうか。そして、永遠の戦後は続いていくはずです。

優秀賞 「平和への思い」 古川北中学校3年 氏家 陽菜

8月15日、祖母は地域で行われる戦没者慰霊祭に民生委員として参加しました。毎年のように参加している祖母は、慰霊祭から戻るといつも「戦争は嫌だね。悲しくて悔しいことばかりだね。」と言います。加えて今年は、「遺族会の人たちも高齢になってきたよ。」そう言って、戦後78年を迎えたことや戦争の時のことをいろいろ教えてくれました。

戦没者とは、戦争で亡くなった戦死者と民間犠牲者のことです。戦地での戦いで亡くなった人もいれば、戦争相手国の攻撃によって亡くなった人も多くいたことも祖母は話してくれました。

戦争は、人と人とが争い、たくさんのものを失うばかりで何か得るものはあるのでしょうか。戦争によって父親を亡くし、母親まで犠牲になり、家も何もかも全てを失い、戦災孤児となった子どもたちがたくさんいたことも祖母から教えてもらいました。

私の祖母の祖母という人は、戦災孤児となった2人の兄弟の面倒をみて、自立できるまでそばにいて育てあげたそうです。兄弟たちは大人になって、それぞれの生活をしてからも、感謝の気持ちを忘れなかったそうで、時々家を訪ねてきていたことも祖母は懐かしそうに話してくれました。でも戦災孤児も必ずしも親戚に引き取られる子どもたちだけではなかったそうです。私はお父さんやお母さんを失い、寂しい思いをしている子どもたちのことを想像して、とても悲しい気持ちになりました。

今、ウクライナの戦争、北朝鮮の核実験、ミャンマーのクーデター等、どれも人と人の争いでたくさんの人が悲しみ、大切なものをたくさん失っています。世界のどこかで争いが続いています。だからこそ、毎年戦没者慰霊祭などを行い、戦争で亡くなった人たちの冥福を祈り、平和でいられることの尊さを確かめることに意味があると思うのです。そして2度と戦争による悲しみを繰り返すことがないように、私たち戦争を経験していない若い世代が、このような行事を引き継いでいくことも大切なのではないかと考えます。

私は小学4年生の時に、父を交通事故で亡くしました。突然の出来事に私たち家族は悲しみに暮れていました。でも周りの人にたくさん支えられて何とか立ち直りました。大切な人の命を奪われ、大きな悲しみを作り出すのは戦争も同じだと思います。だから絶対に戦争はしてはいけないのです。

同じ人間同士、人を許してあげる気持ちを大切にして、話し合いで解決できる未来を作っていきたいです。よく小さな積み重ねによって大きなことが成し遂げられるといいます。家族や友達、学校や職場などで思いやりの気持ちをもって人にやさしく接し、小さな平和を積み重ね、世界平和を実現させたいです。

この夏休みは「戦没者慰霊祭」と祖母の話から改めて平和について考えました。いつまでも平和でいられますように。そして1日も早く他国での戦争が終わりますように。そう強く願い、私は小さな平和を積み重ねていきます。

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