平和作文コンクール(平成20年度)

更新日:2021年02月26日

2018年11月19日 平和作文コンクールでの入賞者を表彰しました。小・中学生平和作文コンクール(平成20年度)入賞者が盾を持って並んで写っている写真

市では、子どもたちの平和に対する思いや考えを発表する「小・中学生平和作文コンクール」を毎年実施しています。

平成20年度は、小・中学校から41作品の応募があり、審査の結果、最優秀賞として小学生の部では古川第一小学校5年 武田愛実さんの「戦争のない世界へ」が、中学生の部では古川北中学校2年 千葉香苗さんの「平和な世界にするために」が選ばれました。

平和作文コンクール

小学生の部

最優秀賞

武田愛実さん 古川第一小学校5年 戦争のない世界へ

優秀賞

  • 佐々木文香さん 古川第四小学校5年 もし平和な時代に生まれなかったら
  • 山崎道隆さん 岩出山小学校6年 悲しい戦争と永遠の目標・平和
  • 木村友仁さん 西古川小学校6年 63回目の終戦記念日を迎えて
  • 岩井美咲さん 田尻小学校6年 戦争について考えたこと

中学生の部

最優秀賞

千葉香苗さん 古川北中学校2年 平和な世界にするために

優秀賞

佐藤果奈さん 岩出山中学校3年 私が考える平和

募集期間

平成20年7月7日~平成20年9月8日

応募数

41作品

平和作文集

戦争のない世界へ

古川第一小学校5年 武田愛実

「平和」とはどんなことなのでしょう。
私は戦争を知りません。そのため、本当の「平和」も知りません。
私が思っていた「平和」とは、今の状態、つまり日本が戦争もなく無事な状態のことでした。でも、次のような本を読んで、少し考えが変わってきました。

1冊目は、戦争中のゾウの話です。上野動物園には、戦争中、3頭のゾウがいました。しかし、ゾウは食べ物をたくさん食べるので、まずしい日本はとても困り、ゾウを殺してしまおうということになりました。飼育係の人達はゾウにごはんをあたえるのをやめました。でも、ゾウは最後まで、係の人が通ると必死に芸をしてみせました。小さい時、芸をして食べ物をもらったことを覚えていたからです。

2冊目は、「アンネ・フランク」についての本です。アンネはとても作文が上手で、明るい女の子でした。でも、当時は「ユダヤ人狩り」というものがあり、何も悪いことをしていないのにユダヤ人はつかまえられ、ガス室で殺されました。アンネもユダヤ人だったため、つかまえられ、家族とはなればなれになり、たった一人で死んでいきました。

私は、この二つの話を読んで、「平和」とは自分達が無事なことだけではないと分かりました。きっと、「平和」とは、すべての国が戦争をやめた時だと思います。今もどこかで、戦争によって亡くなっている人がいます。悲しんでいる人がいます。

「平和」について考えていかなければならないのは、すべての人達だと思います。日本国憲法にも「日本は戦争を放棄します」と書いてありました。でも、そのきまりを取り消そうとしている人達もいるということが分かりました。そのきまりはなくてはならないものです。私は、すべての国にこのような決まりが必要だと思います。本当の「平和」は、すべての国のすべての人が協力しなければ成り立たないと思うのです。

今、戦争が起こったら、きっと長崎や広島に落とされたような原子爆弾が使われるでしょう。今、私は安心してくらしていますが、どこかでまた戦争が起こった時のために爆弾を研究している人達がいるというのです。私はぞっとしました。でも、一番こわいことは、そのようなおそろしいことを知らないことだと母に聞きました。「平和」について考えようとしないうちは、本当の「平和」を分かることができないからだそうです。

「平和」は、とても大切なものだと思います。「平和」の祭典であるオリンピックの間もロシアの方では戦争がありました。上野動物園のゾウや、アンネ・フランクのような悲しい話がこれから増えてほしくはありません。これからたくさんの本を読んだり、話を聞いたりしながら、「平和」について深く考えられるようになりたいと、私は強く思います。

もし平和な時代に生まれなかったら

古川第四小学校5年 佐々木文香

私は、毎日おだやかでしずかな生活を送っています。それが何よりも安全で豊かな暮らしだと当たり前のように思って来ました。現実はそうではないのです。世界中の国では今も戦争で食べ物がなくなり、うえで苦しんでいる人達がたくさんいて、今こうしている間も大切な命が失われているのです。

もしそれが逆の立場になっていたら、平和という言葉がどんな意味を持つのかさえも私は分からなかったかもしれません。戦争で食べ物や飲み物がなくなり、うばい合いがはじまり、また別の戦争がはじまってしまい、命が消えて行く毎日。子供達は学校へ行きたくても行けない。そのかわり働かなくては生きていけないのです。

日本では、必ず学校に行っていろんな事を学ばなければいけないと決まっています。小学生は働く事も禁止されています。でも学校へ行けない子供達、どうしても働かなくては家族が生きていけない国々がたくさんあります。

私達の国では、水道のじゃ口をひねれば清けつで新せんな水をたくさん飲む事ができますが、何十キロも離れた水くみ場まではだしで歩き、よごれた水を何時間もかけて運ばなくてはならない人達がいます。しかし、そのよごれた水を飲む事によって病気になり、病気のお母さんから子供が生まれ、赤ちゃんが母にゅうを飲み病気になり、小さな命がすぐにうばわれてしまう毎日が続いています。

国によってどうしてこんなにも残こくで、苦しくて、悲しくて…。きっと私には想像もつかないくらいの毎日を人々は送っているのです。私達には、夢や希望があふれています。努力する事によって夢がかなう事もあると思います。どうか、平和な時をむかえる事の出来ない人々でも大きな夢と希望と可能性を失わないでほしいと思います。

平和な時代が私達にもやってきたと言える日が来ると信じて生きてほしいと願います。平和な時を取りもどすには、私達が何か出来る事からはじめてみようと思います。たった一人の力では何も起きないけれど、世界中のよびかけによって救える命が、生まれる命がきっと増えると思います。

ロンドンには、平和村というしせつがあり、戦争でじらいなどをふみ、手や足などが飛んでなくなり、顔や体に大ヤケドをしてしまった子供や、きちんとしたちりょうを受けられない子供達がたくさん暮らしています。赤ちゃんや私くらいの子供達が、手足がなくなっても一生けん命生きている。まだあんなに小さいのに、何一つ悪い事などしていないのに誰が悪いのか、どうしたらこんなひどい事がなくなるのか、私達はこんなに平和に生きているのに何も知らなかった私はむねがいっぱいになってしまい、なみだが止まりませんでした。

きっとあの子供達はもっともっと悲しいなみだをたくさん流してきた事と思います。いろんな国の子供達が言葉や習慣がちがっていても、仲良く助け合いながら、苦しみや悲しみを乗りこえて生きている。私は大きな力をたくさんもらいました。もっともっとがんばらなくてはいけないんだ、強くならなくては、平和を取りもどす事はできないと思いました。

もし平和な時代に私がいなかったら、大きく空を見上げて深呼吸する事さえ知らず、友達と笑ったり遊んだりすることもできず、いつも何かにおびえる毎日なのでしょうか。戦争で深いきずを負った子供達は、もう二度と戦争を引き起こす事のない大人になると私は思います。だれよりも一番その痛みを知っているからです。私達ももちろんこの世界が平等で平和な国にして行かなくてはならない責任が一人一人にあると思います。

私は、この平和な国に生まれた事の全てに感謝しなくてはいけないと思うようになりました。そして命の大切さを知り、一生けん命生きるという事をけっしてわすれてはならないと思います。平和の意味を考えながらこれからの自分に役立てようと思います。いっこくもはやく平和がおとずれる事を心から願いたいと思います。

悲しい戦争と永遠の目標・平和

岩出山小学校6年 山崎道隆

ぼくたちは平和という言葉をよく使う。その言葉の意味は、戦いや争いがなくおだやかな状態を指す。しかし、人がそれを達成できているわけではない。

人はどんどん進化する。その中でまた新たに発達し、発明をする。しかし、その中で平和を目指す目標は達成できていない。千年以上前に定められた十七条の憲法でも平和が第一という目標だった。しかしそれも彼の死後、また殺人や戦争という許されない手段で罪のない人達を殺し、それが現在も世界規模で続いている。

過去、戦争のない時代などなかった。何万人という人達が戦争を止めようとした。しかし、軍隊に倒され、止められなかった。そしてどんどん悲しい兵器が発明され、手段もテロなどより恐ろしいものへと変わっていったのだった。

ぼくは4年生まで5年間アメリカで暮らしていました。アメリカの人々はやさしくゆずり合うことが多いとても平和な世界でした。しかし、アメリカで暮らし始めて1カ月後、アメリカに衝撃が走った。2001年9月11日、同時多発テロが起きた。ぼくらの地域には落ちなかったが、テレビでずっと恐ろしい光景が映し出され、国全体が深い悲しみと不安に包まれた。

日本に帰っても、ぼくはよく不安になることがあります。指名手配のポスターを見ると近くに目つきの悪い犯人がいるようで背筋がよく凍ります。

しかしそれよりも恐ろしいのは、世界のいたる所で戦争が起き、たくさんの子供や動物が争いに巻きこまれていることです。悲しいことに子供達は、紛争の中銃を取り、同じ人間を殺し合っているのです。

かつて、日本も同じことがあったのです。63年前、ぼくらよりほんの少し早く生まれた人達が戦争で亡くなった事を聞き、とてもショックでした。しかし、さらにショックだったのは、人でもなく、口がきけないから軍が殺し続けた動物達でした。彼らが、動物園から逃げ出し、暴れ回ると困るという理由だけで、ひどいやり方で何もしていない生き物を殺すことをとても許せませんでした。

では、ぼくたちはどうすれば戦争を止めたりすることができるのでしょうか。ぼくは、他の国、民族の人たちと差別なく接し、にくしみ合うことがなくなることが戦争をなくすことの第一歩につながると信じています。

もう世界でいろいろな人の勝手で、罪もない人々や動物から幸せをうばうのはやめてほしいです。

63回目の終戦記念日を迎えて

西古川小学校6年 木村友仁

今日は8月15日、日本が太平洋戦争に敗北して63回目を迎えたとおじいちゃんから聞きました。

サイパン島からアメリカ軍のB-29という大型のばくげき機が飛んできて、8月6日に広島市に原子ばくだんを落としました。そのため、たくさんの人が死んだそうです。また、8月9日には、同じく長崎市へも原子ばくだんが落とされ、多くのぎせい者が出ました。それで日本は戦争をやめる事を決めたそうです。その日が8月15日の終戦記念日だそうです。

おじいちゃんのお父さんは、おじいちゃんがまだ小さい時に兵隊さんとして中国、タイ国へと戦いに行き、最後はガダルカナル島という所で戦死したそうです。その時、おじいちゃんはまだ4才だったらしく、お父さんの顔もはっきりとは覚えていないそうです。げき戦地だったガダルカナル島は、食べ物も武器も少なく、とてもつらかった最後だったそうです。戦争へ行った多くの兵隊さんは、日本にもどる事もなく、多くが戦死したそうです。ぼくは、その話をおじいちゃんから聞いて、とてもこわく感じ、世界中から争いがなくなればいいと思いました。

もし平和な時代に生まれていなかったらと考えると、ばくげき機からのばくだんで死んでいたかもしれません。または、少年兵として戦場に行かされて戦っていたかもしれません。戦争とは人と人との殺し合いです。敵の兵隊を殺せば殺すほどえらくなります。しかも、人を簡単に殺してしまいます。そういう事を考えると戦争というものは、とても残こくでとても悲しい事だとぼくは考えます。

平和とは、世界中から戦争や争い事がなくなる事と考えます。しかし、今でも世界中では、どこかの国で争い事が起きているという事をテレビのニュース番組でよく見かけます。

なぜ、ぼくは話し合いで解決ができないのだろうかと思います。なぜ武力にたよってしまうのだろうか。戦争とは、だれが考えたのでしょうか。どんな事があろうとも、人が人を殺し合う戦争は絶対によくないと考えます。

この作文はおじいちゃんからの話を参考にしました。話の最後に日本各地に、日本が戦争を行った資料や写真が展示してある施設があるそうです。今度、お父さんにそのような施設に連れて行ってもらい、戦争の残こくさや平和の大切さについて学びたいと思います。

戦争について考えたこと

田尻小学校6年 岩井美咲

戦後60周年ということで、戦争という言葉を耳にする機会が多くなり、そのころから戦争に興味を持っていました。去年は、たまたま回したテレビで「ほたるの墓」を見ました。その後も、本で読んだり、再放送でもう一度テレビで見たりしました。何度見ても、涙が止まりませんでした。かわいそうで、悲しくて、こわくて自分だったらどうしようと思いました。

今年は、広島と長崎に落とされた原子爆弾についての実際の写真を見る機会があり、私はとてもおどろき、心に残りました。人々は真っ黒にこげ、ひふはとけて、水をほしがっていたり、家族を失い、友を失い、家や町は焼け野原となり目を疑うほど、すさまじい光景が写真から伝わってきました。

後から、まちがって落とされた原爆だと聞きましたが、あんなにすさまじい爆弾をまちがって落としたなんてあってはいけないことだと思いました。

今、日本で戦争は起きていませんが、世界を見れば様々な所で戦争が起きていて、たくさんのぎせい者がでています。

カンボジアでは、戦争の時にうめこまれた地雷で足が吹き飛ばされたりして、戦争の傷は今も消えずに残っています。

何の罪もない人が次々と殺されていく戦争はあってはならないと思います。戦争をしても得られるものはなく傷付く人が増えるばかりだと思うし、なくなっていい命なんてないと思うからです。

戦争のないこの時代に生まれたことはとても幸せなことだと思います。だからこそ私達は、戦争の怖さ、残酷さ、悲しさなどを次の世代の人々に伝え、戦争によって命を落とすことがない様に、そして今の幸せがいつまでも続けられるよう努力していくことが大切だと思います。

平和な世界にするために

古川北中学校2年 千葉香苗

5月15日、この日は沖縄の本土復帰記念日です。ニュースなどでは取り上げられていますがあまり知られてはいません。沖縄は、第二次世界大戦の際に日本で唯一戦地になった場所です。そのため、現在でも米軍基地が建っています。

私は、6年生の時に「さとうきび畑の唄」というドラマを見ました。それは、平和だった沖縄で平凡な生活を送っていた家族が戦争によって引き裂かれてしまうという内容のものでした。沖縄で起きた戦争という悲劇を残酷に描き出したドラマでした。

私は、このドラマを見るまでは沖縄というと、きれいな海と独特の文化というようなことしかありませんでした。しかし、ドラマを見てからはこのきれいな土地でたくさんの人々が犠牲になり、亡くなったのだというイメージも持つようになりました。そして、以前よりもっと沖縄へ行ってみたいという気持ちが強まりました。また、沖縄の歴史にも興味を持つようになり、インターネットなどで色々なことを調べました。すると、心が痛むようなことがたくさん分かりました。その時に沖縄の本土復帰記念日のことも知りました。

昭和19年10月10日以降の米軍の空襲と、昭和20年4月1日から6月23日まで続いた米軍沖縄上陸作戦では、軍人・民間人合わせて20万人もの犠牲が出ました。そして、沖縄はアメリカに占領されました。また、戦争終結後もアメリカは沖縄の他に奄美・小笠原を日本から切り離して管理し、すぐに戦争の始まった朝鮮、引き続いてベトナム他、インドシナ、そして果てしない戦いの続く中東へと軍隊を派遣するための前線基地・中継基地として沖縄は使用されてきました。

その間、アメリカ軍は沖縄の人々を従属国の人間として見下した扱いをし、その風潮は復帰後長い年月のたった今も大きくは変わっていないそうです。このように、アメリカに占領されていた沖縄が日本に復帰したのが昭和47年の5月15日でした。沖縄が米軍の手に落ちて以来、27年ぶりの復帰でした。当時、本土復帰後もアメリカが沖縄に基地を維持することを認める口約束の上で初めて復帰交渉が成功したということが長い年月が経ってから明らかになっています。

私は、この事実を知ってから、沖縄にこんな歴史があったのかという驚きと悲しみがこみ上げてきました。沖縄は日本の歴史の中で琉球王国として貿易などの面でとても重要な役割を担っていますが、沖縄となってからは世界の戦争を語る上で欠かせない存在になりました。

現在、日本はとても平和な国です。世界の国々も日本を平和国家として認めています。世界的に戦争が無くならない今、日本は戦争経験のある国として世界を平和にしていかなければいけないと思います。私たちは戦争を知りません。

しかし、戦争のことを伝えることはできます。戦争を体験した方々から話を聞いたり、資料などで調べて戦争のことを知るというのが大切だと思います。私たちは戦争のことを知った上で戦争のない平和な世界にしていかなければいけません。世界が平和になり、世界の人々が協力すれば必ず幸せな世界が作れると思います。そんな世界を作るのは私たちです。では、どうすれば平和な世界が作れるのでしょうか。

今、核ミサイルや核爆弾という言葉をよく耳にします。私はそのたびに怖くなります。それが飛んで来たらと思うと背筋がゾッとします。また、最近のニュースや新聞などでは、「北朝鮮、核計画申告。アメリカ、テロ支援国家から解除へ…」というような見出しもありました。どこに核兵器などの武器を隠し持っているか分からない状況なのです。そして、中東では長い間戦争が続いています。

今のこの世の中は、平和な国ではのんびりとした毎日を過ごしている一方で、戦争が続いている国ではいつ死んでしまうか分からないという中生活しているのです。この地球という一つの星の中でまったく正反対の生活をしている人々がいるのです。私はそんなことは間違っていると思います。そんなことはあってはならないと思います。世界中の人々が平和に幸せに暮らせるようにするには、武器も凶器も争いも無くしていかなければいけません。

争いを無くす、それが平和な世界を作るための第一歩だと私は思います。その理由は、今の争いはすごくささいなことから始まっているからです。ささいなことでもとても大きな争いを引き起こしてしまうということです。現在でも本当に小さい口喧嘩から相手を殺してしまうということが起きています。だから、私たちも身近な争いを無くすことを心がけていかなければいけません。争いが無い平和な世界、そんな世界に私はしていきたいです。

私が考える平和

岩出山中学校3年 佐藤果奈

今年も「原爆の日」がやってきました。8月6日には広島に、8月9日には長崎に原子爆弾が投下されてから約60年もの月日が流れています。日本国は長崎投下から6日後の8月15日に終戦することを昭和天皇がラジオを通じて国民に発表しました。

さてみなさん、平和とはどのようなことだと考えていますか。また、平和な世界がくるにはどのようなことをすればいいと考えていますか。

私が考える平和とは、世界中から核兵器を無くすこと、みんな仲良く生活していくこと、この二つが大切だと考えています。日本では非核三原則というものがあり、国内に核兵器はありません。私はそれだけでも安心しています。なぜかというと、持っていないということは、使うことがないということだからです。使うことがなければ、命が失われる可能性もゼロに等しいということです。

日本は世界でただ一つの被爆国、だから原爆のおそろしさが分かっています。約60年前のあの日、数えきれないほどの大事な命が失われていきました。その体験を、今こそ世界に伝えていくことが、日本国民としてできる、一つの役目だと思います。また世界にも、「核兵器を、持たず、作らず、持ちこまず。」という非核三原則を広めていけばいいのではないでしょうか。

また、仲良くするということは、平和への第一歩だと考えています。大きなことを変えていくのは、とても大変なことです。ですが、小さなことを変えていくのは、そんなに難しくはないと思います。その小さなことは、仲良くすることです。仲良くすることは、日常の生活からでもできます。

それは、地球に住んでいる人間ならだれにでも実行できることではないかと思います。核兵器をなくすことは私たち一般人には難しいことですが、仲良くすることならできます。小さなことをつみかさねて、みんなで平和な世界をつくりたいものです。

さて私は、世界から核兵器をなくすことと、みんな仲良く生活していくこと、この二つをすれば平和なのではないかと考えていましたが、少し違っているようです。

昔は「平和」は「戦争のない状態」だと理解されていましたが、今では「暴力のない状態」と理解されるようになっている、と新聞に書いていました。この場合の暴力とは、人間の能力が豊かに花開くのを阻んでいる原因のことだそうです。暴力には、「直接的暴力」、「構造的暴力」、「文化的暴力」も含まれます。つまり、平和とは「命の輝きをくもらせる原因のない状態」にほかならないのではないでしょうか。

アフリカなどの発展途上国では、5歳以下の子が、5秒に1人の割合で餓死しています。生きるだけで精いっぱいでは平和とはいえません。私たちにできることはないのでしょうか。やはりこれも、1円でも、10円でもいいから募金していけば、初めは小さな割でも、みんなですればいずれ大きな割となります。まず「募金」という言葉をみたら協力していくことが大切だと思います。少しは助けになるはずです。

世界で初めて日本に原爆が投下されてからもう60年をこえ、被爆者の平均年齢も75歳を越えました。被爆者が元気なうちにあの日のできごとを聞いて学び、私たちが次の世代へと伝えていくべきです。訴えていくべきです。

「戦争はいけないよ。暴力はいけないよ。もう、大切な命をうばうのはやめにして、今後は命を救っていこう。」

その言葉が未来を左右するかもしれません。

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